熊谷先陣問答

宝永頃

天満八太夫

大伝馬三丁目

鱗形屋孫兵衛板

 

初段

 

さてもその後

それ、国を治め

家を安くするという事は

君にあり

君、賢聖なる時んば国治まり

君、邪欲なる時んば民苦しむ

さるによって

臣、臣たりというとも

君、君足らずんばあるべからず

(※君(きみ)君(きみ)たらずといえども臣(しん)臣たらざるべからず「古文孝経」序 )

 

ここに、本朝八十二代

後鳥羽の院のちてん(治天)に

坂東武蔵の国

熊谷(くまがえ)の次郎直実とて

弓取り一人おわします

先年、悪源太よし平(あくげんたよしひら)の手に嘱し(しょくし)

数度(すど)の高名(こうみょう)なお現し

悪源太十六騎に選み出され

今度、平家の合戦に

頼朝の御味方に参り

一の谷の先陣を仕り

武勇に名高き侍なり

嫡子、小次郎直家(なおいえ)、十七歳

父と一緒に一の谷にて高名を極め

天下に誉れを取り給う

次ぎは桂の前とて十五歳

この兄弟は先腹にて

乳房の母に離れさせ給いける

さてまた、今の北の方は

平山の武者所季重(すえしげ)の妹なり

この御腹に玉鶴姫(たまづるひめ)とて十三になり給う

兄弟ともに容儀(ようぎ)目出度うましませば

直実、寵愛浅からず

さてまた、家の臣下には

木村の五藤太安高(ごとうだやすたか)とて

上を敬い(うやまい)下を撫で(なで)

仁義正しき勇士なれば

内外(ないげ)不足もましまさず

明かし暮らさせ給いける

 

これはさておき

そのころ鎌倉には

頼朝の御前に

諸大名を召され

今度、平家の合戦に

高名(こうみょう)したる人々の軽重(きょうじゅう)を正され

いずれも恩賞給わりける

ここに、平山の武者所季重、まかり出で

「一の谷の先陣は某(それがし)にて候」と申し上げる

頼朝、聞こし召し

「それは、熊谷(くまがえ)先陣たる由

既に、くんちょう(軍調?)にも明白なり

去りながら直実を召しよせ

両方の是非を正すべし

それ、熊谷召せ」

畏まって候と

やがて、御前に召し出す

らいちょう(頼朝)ご覧じ

「如何に、直実

一の谷の先陣を争う者のある間

その時のあらまし

いちいち申し上げよ」との御諚なり

直実、畏まって候と

「一の谷(へ)二月七日の落城に

六日の夜まで

某、親子の者は

九郎義経の御手に嘱(しょく)し

山の手に候いしかども

明くる日の先陣を心がけ

密かに陣中を忍び出で

波打ち際に相回り(あいまわり)

土肥の次郎実平(どいのじろうさねひら)が七千余騎にて支えたる

陣の前をうち通って

一の谷の西の木戸口に押し寄せて候えども

夜中なれば門開かず

いたずらに待ち明かす所に

平山の季重(すえしげ)

遅ればせにて来たらるる

某、頓(やが)て、心得

城に向かって『一の谷の先陣は、直実なり』

と、名乗りしこと

世に隠れ候わまじ、我が君様」

とぞ、申しける

その時、季重、罷り出で

「尤(もっとも)も、御辺は、宵より詰められ候えども

木戸、開かねば、徒に

外に控えておわします

某、遅ればせにて候えども

寄すると等しく

城中へ駆け入り

まず一番に敵に遭う(おう)たるは某なり」

直実、聞いて

「如何に、季重

御前にて、左様の虚言申されそ

先陣を心がけ

木戸口にひっ添うて待ち明かす某が

後に来たる御辺に

先を越さるべきか

門開くと同じく

一番に駆け入って

則ち、敵(かたき)は

悪七兵衛景清、越中の前司盛俊(えっちゅうぜんじもりとし)

同じく、次郎兵衛盛嗣(じろうびょうえもりつぐ)

かれこれ、二十三騎にて防ぎしを

ひとまず追い散らし

続く味方、あらざれば

御辺と某、互いに馬を安めつつ

相戦いしを忘れたるか

季重如何に」

と申さるる、季重聞いて

「それは、後(ご)しての詮議なり

まず一番に敵に遭う(おう)たるは

某なり」

直実、怒って(いかって)

「左様の僻事(ひがごと)謂われなし」

「なにがし(某)こそ一番よ」

と、互いに争い、気色を損じ

御前とも言わず

太刀の柄に手を掛け

既に危うく見えし時

一座の人々、押し留む

頼朝(らいちょう)ご覧じ  

「いかに両人、心を静め、確かに聞け

まず、一番に寄せたるは

熊谷(くまがえ)に紛れなし

門開きてその後は

両人、一緒に駆け入るべし

例え、一足が遅速あるとも

互いに証拠あるべからず

されども、直実は

敦盛公を討ったること

これ、抜群の高名なり

この度の顕彰(けんしょう)には

武蔵の国、ながい(長井)の庄(※埼玉県熊谷市(旧妻沼町))を給わる」

と、御判(ごはん)を下され

御座(みざ)を立たせ給いける

直実は、有り難しと

三度、頂戴申さるる

季重は、別に高名あらざれば

すごすごと立たれしは

面目無うこそ見えにける

さて、熊谷は、人々に色代(しきだい)して

宿所をさして帰らるる

直実の威勢の程

あっぱれ、弓矢の面目(めんぼく)やと

誉めぬ者こそなかりけれ

二段目

 

その後、直実は

熊谷(くまがえ)に立ち帰り

家の子、郎党を近づけ

「この度、某、鎌倉にて

君の御感、浅からず

長井の庄を給わるなり

配分せん」とのたまいて

各々所領給わって

悦事は、限りなし

 

かかる目出度き折節に

定め無き世の習いとて

ある夕暮れのことなるに

直実は、南表の花園に出で給い

「木々の梢、草の色

春、萌え出でて、夏茂り

秋、霜枯れて、冬は又、

雪降り積もるその下に

又来る春をや待つらんと

四季転変(てんべん)の有様を

つくづくと感じ給うに

昨日、平家の栄しも

今日は源氏の御代となる

明日の世の中、定めなく

心止まらぬ浮き世かな

その上 、一の谷にて

敦盛の御最期に

亡き後問うて得させよと

只、仮初めの一言が

菩提の種となりにけん」

その面影の忘られず

今、見る様に思われて

さしもに猛き(たけき)直実も

そぞろに涙に咽ばるる(むせばるる)

彼を見、これを思うにも

所詮、娑婆の楽しみは

電光石火、稲妻の

有りて無ければ、陽炎(かげろう)の

夢の間の楽しみに

長き住み家を知らざるは

嘆きてもなお余りあり

釈尊も帝位を捨て

ついに正覚取り給う

我、煩悩にほだされて

二度、三途に帰らんこと

世に口惜しき次第なり

遁世修業に出でばやと

思う心ぞ付きにける

妻や子供が知るならば

裾や袂に取り付いて

嘆かんことも不憫なり

所詮、忍び出でんと思し召し

腰の刀をひん抜いて

われ(我)と、髻(もとどり)押し切って

刀に添えて、かしこに置き

思い切って、遁世修業に出で給う

心の内こそ殊勝なり

 

これはさておき

北の方、兄弟は、

何とて父は遅くいらせ給うぞと

表に出で見給えば

いつしか、直実はましまさず

かしこを見れば、みはかせ(御佩刀)に取り添えて

形見の髻(たぶさ)ぞ残りける

「やれ、父上は、御遁世ましますか」と

御台、兄弟諸共に

そのままそこに倒れ伏し

雨や雨とぞ(あめやさめ)泣き給う

直家、涙を押しとどめ

「のう如何に、母上様

御嘆きは理(ことわり)なれども

今は、叶わぬ御事なり

某、かくて候えば

父上の御行方(ゆくえ)

などか、尋ねで候べき

まず、こなたへ」とのたまいて

常の所に入り給う

 

かくて、月日を経る(ふる)ほどに

昔が今に至るまで

継嗣(けいし)、継母の間ほど

浅ましきことは無し

母上、思し召しけるは

「桂の前は女子なれば

とにも、いかにも、計らうべし

いかにもして、直家を失い

季重の二男(になん)、小太郎を呼び迎え

玉鶴と一緒になし

浮き世の中を

我が儘に暮らさばや」

と思し召し

まずこのことを、兄、季重に語らばやと思し召し

御供召しぐし

平山指してぞ急がるる

 

季重、立ち出で対面あり

北の方、小声になりてのたまうは

「いかに、兄上

かようかように思い立ちて候」と

直家、討たん謀(はかりごと)

いちいち語り給いける

元より妬む(ねたむ)季重

聞いて、にっこと笑うて

「よくこそ思い立たれたり

さて、如何して討つべきぞ」

北の方聞き給い

「幸い、直家、明日、善光寺参り、仕る

道に待ち受け給え」

季重、聞きて

「この義、尤も(もっとも)然るべし

さあらば御身は、帰り給え」とて

熊谷に送りつつ

三百余騎を催し(もよおし)

信濃、上野(こうずけ)の境

碓氷峠に陣取って

今や今やと待ちにける

これをば知らで直家は

僅かなる供人にて

善光寺へぞ参らるる

待ち伏せの者ども

すわや、これぞと見るよりも

鬨(とき)をどっとぞ作りける

ここに、直家の郎党に

五藤太安高

真っ先に進み出で

「何者なれば狼藉なり

名乗れ、聞かん」

と申しける

その時、季重、二陣に駒、駆け出し、大音声

「只今、ここもとへ押し寄せたる大将は

平山の季重なり

君よりの仰せには

父、直実、源氏の御代を不足に思い

遁世したるだに

憎しと思し召さるるに

又、直家、御暇(いとま)をも申さずして

国越えての物詣で(ものもうで)

上(かみ)を軽しめ申す事

これに過ぎたる逆心なし

朋輩の見せしめに

御懲罰あらんとて

季重、仰せを蒙るなり

但し、御辺とは、縁者にて

不憫には思えども

主命(しゅうめい)なれば力なし

尋常に腹を切れ

後世をば問うて得さするべし

いかに、いかに」

と申しける

安高驚き

急ぎ、直家にかくと言う

直家聞いて

「君の仰せにて余もあらじ

継母の業(わざ)と覚えたり

それはともあれ

弱気(よわげ)を見せて

しのとう(四の党)の名ばし

下すな、者ども」と

既に駆けんとし給えば

安高、押さえて

「まずまず、某、一軍仕らん」と

真っ先に駆け出で

「いかに、平山殿

某は、熊谷、譜代の郎党に

木村の五郎太安高なり

今度(こんたび)、平家の合戦に

手柄の程は、見給いけん

そこ、引き給うな季重」

と、大勢に割って入り

ここを先途と戦いける

去れども、味方は無勢(ぶぜい)にて

皆、悉く(ことごとく)討たれけり

直家と安高と

七度別れて、七度会い

散々に戦いける

さっと引いて、見給えば

主従二人になり給う

直家、今はこれまでと

介錯せよとのたまいて

既に自害と見え給う

安高押さえて

「こは、不覚なる御風情

某、防ぎ申すべし

幸い、御叔父、岡部の六弥太忠純(澄)殿(ろくやたただずみ)

薩摩の守忠度(ただのり)を討ち給う恩賞に

能登の守護職を給わり

御在国のことなれば

まず、能州(のうしゅう:能登の国)へ落ち給い

かくと頼ませ給いなば

いかでか見捨て給うべき

切に望んで、死を逃れ

再び、義兵を上ぐるこそ

名将とは申すなり

早疾く疾く」と申しける

直家、聞き給い

とかくは言うに及ばねば

さらばさらばとのたまいて

桑取越え(くわとりごえ)に差し掛かり

(※新潟県上越市:桑取谷)

能登の国へ落ち給う

 

さて、安高は

「科(とが)無き者を数多討ち

罪作り、詮無し」と

腹、十文字に掻き切って

明日の露となりにけり

季重は勝ち鬨作りつつ

熊谷指して帰りける

かの安高が最期の程

あっぱれ、由々しき郎等とて

惜しまぬ者こそなかりけり

 

三段目

 

その後(のち)季重は

急ぎ、熊谷に行き

この由、かくと仰せける

北の方、なのめならず喜び

「さあらば、吉日を選び

小太郎、これへ給わるべし

季重殿」

と、のたまえば

心得候と

平山さして帰らるる

さて、母上は、二人の姫を近づけて

「おことらが兄、直家

君にお暇申さずして

善光寺へ参りしを

君、御腹立(ぶくりゅう)ましまして

鎌倉より討ってが向い

信濃の国にて討たれたり

しかれども、後の所領は

汝や、自らに給わる」

とのたまえば、兄弟は聞き給い

「さては兄上は討たれさせ給うか」と

そのままそこに倒れ伏し

声を上げてぞ泣き給う

母上、仰せけるようは

「いかに、玉鶴(たまづる)

こなたへ参れ」

とのたまいて

とある所に立ち寄り

「いかに玉鶴、妾(わらわ)が思うは

季重の二男、小太郎を迎え取り

おことと一緒になし

この家を継がせんと思うは如何に」

とのたまえば

玉鶴は聞こし召し

「のう、いかに母上様

兄上、討たれ給いても

この跡を給わらば

幸い、姉のましますなり

姉上を差し退けて

自らが妹の身をもって

いかで、家を継ぎ申さん

自らが、存ずるは

鎌倉殿へ御訴訟あり

いかなる人をも呼び迎え

姉上と一緒になし

家を継がせ給うべし、母上様」

とのたまえば

母は、大きに腹を立て

「汝、幼き者とても

その心得あらざるか

桂の前は、妾が子にては無きぞかし

ただ、何事も

我に任せてあるべきなり

玉鶴如何に」

と仰せける

玉鶴聞くよりも

「こは、恨めしき仰せかな

いかに、御身を分けさせ給わぬとて

自らがためには

影形(かげかたち)とも撫子の(なでしこ)

連ねし枝と候えば

名も睦まじき紫の

なべての草の縁(ゆかり)とも

思し召されぬ、恨めしや

まず、思し召してもご覧ぜよ

もしも左様の候わば

世間の人の申さんも

我が子を世に立て

継子につらくおわします

邪険の母の心やと

人が人とも申すまじ

継子、本子と隔つるは

卑しき者の成す業なり

恨めしのお心や」

と、すがりついて泣き給う

母上はこれを聞き

時ならぬ、顔に紅葉を打ち散らし

「母よりも姉を重く思うかや

さほどに姉と一身(いちみ)して

母を背く腹立ちや

今日よりして自らも

娘持ったと思うまじ

汝も、母持ったと思うな」

と、間(あい)の障子をはたと立て

簾中(れんじゅう)深く入り給う

玉鶴はご覧じて

「こは、浅ましき母上には

物が付いて狂わせ申すかや

例え不興は蒙る(こうぶる)とも

姉、置きて

自ら家を継がんこと

思いもよらぬ次第」

とて、さめざめ泣いておわします

いたわしや、桂の前

障子を隔てて、このあらましを聞こし召し

涙に暮れてましますが

するすると立ち寄り

玉鶴姫にいだき付き

「あら、頼もしき、今の言葉かな

例え、ようごう(永劫)経る(ふる)とても

いつの世にかわ忘るべき

去りながら、自らは

有りて甲斐無き憂き身の果て

様(さま)をも変え、世を厭い(いとい)

後世(ごせ)の営み申すべし

御身は、ここに留まりて

母の仰せに従い

孝行尽くし給うべし

恨むる所存は無きぞ」

とて、いだき付きてぞ泣き給う

さて、あるべきにあらざれば

常の所に入り給う

 

これはさておき、母上は

「所詮、桂が有る故に

玉鶴、かようは申すなり

いかにもして、桂の前を

追い出さばや」

と思し召し、密かに、

桂の前を近づけて

「いかに、桂、

この館をば、玉鶴に給わるとの

鎌倉殿よりの仰せなり

今日よりしては玉鶴を

汝が主と思うべし

姉や妹の振りをせば

この館には叶うまじ

いかに、いかに」

と、仰せける

いたわしや桂の前

とかうの返事もましまさず

差し俯いて(うつぶいて)ましますが

覚えず零るる(こぼるる)涙の雨

乱れ髪を伝い(つたい)つつ

貫く玉の如くなり

母は、この由ご覧じて

「自ら、女の身なれども

君より安堵を給わって

かかる目出度き折節に

泣き顔見する気遣いなり

さ程に泣きたく思いなば

いで、泣かせん」

と、のたまいて

持ったる扇を取り直し

散々に打ち給う

いたわしや姫君は

かしこに、かっぱと倒れ伏し

泣くより外のことは無し

母は、腹据えかねて

僕(しもべ)の男を近づけ

「それなる女を、門より外へ引き出せ

早、追い出せ」

と怒らるる

情けも知らぬ下郎共

畏まって候と

頓て(やがて)引っ立て

門より外へ追い出すは

目も当てられぬ次第なり

 

いたわしや姫君は

さながら夢の心地して

いづくへ行くべきようもなし

かしこの辻に倒れ伏し

声を限りに泣き給う

落つる涙の暇よりも

口説き事こそ哀れなり

「自ら二歳の春のころ

別れし母のことなれば

夢にも更に知らねども

乳房の母のましまさば

かくはなさせ給うまじ

父には捨てられ、兄には離れ

頼り少なき自らを

何とて浮き世に残し置き

憂き目を見させ給うぞや

片紙も早く

迎い取りて給われや

のう、草の陰なる母上様」と

悶え憧れ給いけり

あまりに強く嘆きつつ

勢力も尽き果てて

とある朽ち木を枕として

しばし、まどろみ給いけり

哀れなるかな、冥途にまします母上は

枕神に立ち給い

「やあ、いかに桂の前

我は、乳房の母なるが

おことが嘆くその声が

冥途まで通じつつ

自らあまりの悲しさに

これまで、現れ来たるなり

おことが兄、直家は

継母、季重が計らいにて

討たんとはしたれども

不思議に命逃れつつ

わらわが兄、岡部の六弥太忠純

能登の国にまします故

叔父を頼ってありけるぞや

おことも能登へ尋ね行き

兄のも叔父にも会うならば

末は目出度かるべきぞ

去りながら、その姿にて叶うまじ

あれなる森の内にこそ

比丘尼寺のある間

かしこへ行きて尼になり

尋ねて行けや我が子」

とて、いだきつきてぞ泣き給う

姫君、あまりの悲しさに

「今一度、面影を見させ給え、母上」とて

嘆き叫ばせ給えども

小花(おばな)にそよぐ風よりも

外に答うるものはなかりけり

さて、叶わぬことなれば

乳房の母の教えに任せて

比丘尼寺へと、 急がるる

 

お寺になれば、案内を乞い給う

内より、年頃の尼一人、出で給う

「姫君、ご覧じ

自らは、かようかようの次第なり

万事は頼み候」と

涙を流しのたまう

尼公(にこう)、哀れと思し召し

「げにいたわしき御事なり

こなたへ、入らせ(いらせ)給え」

とて、良きにいたわり給いける

桂の前の心の内

哀れともなかなか、申すばかりはなかりけり

 

 

 

 

四段目

 

 

その後、館にまします、母上は

桂の前を追い出だし

心に懸かる事も無しと

玉鶴姫を近づけ

「桂をば追い出す

今は早、

おことと争う者は無し

吉日次第に

小太郎迎い取るべきなり

玉鶴如何に」

と、仰せける

玉鶴は聞こし召し

はっとばかり、のたまいて

涙にかきくれ給いける

母上、今は心やすしと

在りし所に入り給う

 

いたわしや、玉鶴は

落つる涙の暇よりも

口説き事こそ哀れなれ

「世の中に、世の中に

心は身にも任せねど

詮方、浪に浮き船の

哀れ、儚き

母上の計らいかや

さぞ、姉上、

自らを恨みさせ給わん

世の中に、神や仏もましまさば

母の心を和らげて

姉御返して給われ」

と、流涕、焦がれ、泣き給う

嘆きて叶わぬことなれば

心に思し召さるるは

「自ら、この家、継ぐならば

浮き世の仁義も失せ果てて

人が人とは余も言わじ

その上、父上の

いづくにても、聞こし召すものならば

さぞや憎しと思すらん

このままかくて有るならば

母の仰せも背かれず

只、恨めしきは我が身とて

声を上げてぞ泣き給う

自ら、いづくの浦にても

浮き世を立ててあらばこそ

母の不興もあるべきが

様を変え、世を厭い

親兄弟の菩提を祈り申さんに

などか、仏神三宝(さんぼう)も

憎しと更に思すまじ

忍び出でん」

と思し召し

今一度、母上の御姿を

見ばやとは、思えども

色を悟られ、咎めらるるものならば

何と思うと叶うまじ

ただ、このままに思い切り

泣く泣く立ち出で給いしが

仮初めながら、親と子の

長き別れの印(しるし)にや

名残惜しさに又立ち帰り、倒れ伏し

しばし、消え入り給いしが

ようよう心を取り直し

母上のおわします

そなたの方を打ち詠(ながめ)

心の内の暇乞い

親子は一世と聞く時は

又、会う事は、白波の

消ゆる命は、是非も無し

長らえて、憂き別れこそ

心柄(こころがら)とは思えども

詮方無くも、小車の

いかなる種を植え置きて

懸かる思いをする事は

なんたる因果の報いぞと

知らぬ先の世。恨めしく

泣くより外のことは無し

さて、有るべきにあらざれば

涙と供に出で給う

 

不思議や、寺こそ多きに

姉御のまします

比丘尼寺に立ち寄り

案内乞わせ給えば

さすが、連枝(れんし)の機縁にや

桂の前、出で給い

如何なる人ぞと問い給えば

玉鶴はご覧じて

「のう、姉上様にましますか」

「我こそ玉鶴」

とのたまえば

やれこは、夢か現かと

互いに袖に取り付いて

これはこれはとばかりなり

ややあって玉鶴は

「かようかようの次第にて

これまで、参りて候なり 

いづく迄も、供に連れさせ給え」とある

姉御、聞こし召し

「あら、頼もしの言葉かな

去りながら、御身は未だ、いとけなし

行方も知らぬ旅の空

いかで、伴い申すべし

館に帰り給いつつ

母の仰せに従いて

孝行尽くし給うべし

自らこそ、母の不興を受けし故

行方知らずに迷い出で

親に背きし者なりと

言われんことの悲しきに

まして、御身を伴いて行くならば

いよいよ憎しみ重なりて

我が身の罪は如何せん

命あらば、又こそ、巡り会うべけれ

名残惜しや」

とありければ

玉鶴は聞こし召し

「山の奥、虎伏す野辺の末までも

御身を尋ね申さんと

思い切って出でたる身を

親の方へ帰れとは

さりとては曲もなし

是非是非、帰れとのたまわば

いかなる淵へも、身を沈め

空しくなりてあるならば

姉御の思いは

いとど、勝り申さんに」

と、声を上げて泣き給う

姉御、聞こし召し

「さほどに思い給わらば

先ず、こなたへ」

とのたまいて

尼公の御前に出で給う

尼公、ご覧じて

「げに、頼もしき次第かな

さあらば、髪を下ろして給えとて

丈と等しき御髪(おぐし)を

四方浄土と剃り下ろし

墨染めの姿とならせ給いけり

兄弟、目と目、見合わせて

あら、浅ましの姿やと

涙と供にかき口説き

しばらくここにおわします

 

これは、さて置き

館にまします母上は

この由を聞こし召し

郎等共を近づけ

「桂が前が計らいにて

玉鶴を唆し(そそのかし)

比丘尼寺にあると聞く

急ぎ、かしこに行き向かい

桂をば害しつつ

玉鶴、連れて帰るべし

早疾く、急げ」

と仰せける

畏まって候と

我も我もとお寺に行き

まず、案内を乞うたりける

主の尼公、立ち出で

「如何なる人ぞ」と、問い給う

追い手の者は、声々に

かようかようと申しける

尼公、聞こし召し

「左様の人は、この寺にましまさず

門違えにてや」

とのたまえば

追っ手の者、腹を立て

「左様に、陳じ給わば

内に入って探さん」

と、我も我もと乱れ入り

既にこうよと見えし時

不思議にや、俄に、振動し

廾尋(はたひろ:約30m)の大蛇、現れて

追っ手の者をおっ散らし

大蛇はたちまち、天女と現じ

兄弟に向かい

「我は、汝が、氏神なり

桂が前が、只今、害せられんが不憫さに

かく現れて、助くるなり

ここに、かくてあるならば

重ねて、憂き目に遭うべきなり

いづくへも、立ち退くべし」

と、のたまいて

消すが如くに失せ給う

兄弟の人々は

有り難し、有り難しと

虚空を三度、伏し拝み

さあらば、修業に出でんとて

尼公に暇を乞い給い

旅の装束なされける

づだ(頭陀)の袋を首にかけ

はらから(同胞)二人

玉鉾(たまぼこ)の

道を標(しるべ)に立ち出ずる 

年経て住みし熊谷(くまがえ)を

今日と限りと出で給う

こころの内こそ哀れなり

 

よこく(余国)もかかる、そなたこそ

東の空か東雲の

明けやらん夜は、深谷の宿(深谷宿:埼玉県深谷市)

とにもかくにも、世の中の

偽り多き人こころ

何、本庄の仮初めも(本庄宿:埼玉県本庄市)

誠の道を願うべし

浮き世の闇に迷いつつ

いとど、心は、くらがねの(倉賀野宿:群馬県高崎市倉賀野町)

今の憂き身を慰めて

言問い交わす不如帰(ほととぎす)

鳴く声(ね)は空に高崎や(高崎宿:群馬県高崎市)

涙比べて哀れなり

思わぬ風に誘われて

散り行く梢、板鼻の(板鼻宿:群馬県安中市)

宿をも早く打ち過ぎて

我をば、誰か、松枝や(松井田宿:群馬県安中市松井田町)

登れば下る坂本の(坂本宿:群馬県安中市松井田町)

岩間に曝す(さらす)麻衣(あさごろも)

碓氷峠に差し掛かり

後、立ち帰り眺むれば

いとど、涙の古里は

霞、遙かに隔つらん

 

母の不興を身に受けて

一方(ひとかた)ならぬ罪科の

重くやあらんと思えども

かかる修業の功力にて

罪は消えてや軽井沢

沓掛の宿(やど)を打ち過ぎて

( 沓掛宿:長野県北佐久郡軽井沢町中軽井沢)

浅間の嶽を詠じれば、心細くもかくばかり

 

いざさらば、涙、比べん(くらべん)浅間山

むね(胸)の煙は、誰も劣らじ

 

と、打ち詠じ

茂り聳えたる道野辺の

草の種々、追分けや

(追分宿:長野県北佐久郡軽井沢町追分)

こむろ(小諸)の宿の仮枕

田中に見えし早乙(さおひめ)姫の

取りし早苗もいつしかに

今日は上田の宿を行く

さかき(坂城:榊)を取るや

(長野県埴科郡坂城町)

千早振る、神に祈りは、やしろ(屋代)の里

(長野県千曲市大字屋代)

音に聞こえし千曲川

渡しの舟に便船し

丹波島とはあれとかや

(丹波島宿:長野市(善光寺街道))  

流れ、涼しき犀川(さいかわ)の

渡しを過ぐれば程もなく

宿の名残も重なれば

良き光ぞと掛け頼む

善光寺にぞ付き給う

兄弟の心の内

哀れともなかなか申すばかりはなかりけり

 

五段目

 

 

その後、兄弟の姫君にて

ものの哀れを留めたり

いたわしや玉鶴姫

未だ幼きことなれば

長の旅路の疲れといい

彼方此方(かなたこなた)の思いにや

軽き身に重き病(やもう)を引き受けて

万事、限りと悩まるる

知らぬ旅路のことなれば

情けを懸くる人もなく

杖柱(つえはしら)とも只一人

姉御一人立ち寄りて

良きに看病し給えども

いれい(違例)の術もあらばこそ

水より外の薬も無し

姉御、あまりの悲しさに

玉鶴の御髪(おぐし)を

膝の上に載せ給い

「いかに玉鶴

心は、何と有りけるぞ

少し、心を取り直せ

御身、左様に悩みては

姉は、何と成るべきぞ

あら、恨めしの玉鶴」と

涙を流しのたまえば

姉の声を力として

ようよう、御髪を上げ給い

「あら、もったいなや

姉上に

かく扱われ申すこと

冥加の程も怖ろしや

許させ給え、さりとては

わらわ、只今、空しくなると覚えたり

何事も、何事も、前世の事と思し召し

自らが事を、思し召し出ださん折り折りは

念仏の一遍も手向け候らわば

草の陰にて

必ず、受け取り申すべし

今までも、今までも

一度は、蘇り

姉上に宮仕え申さんと

思いしことの夢となる

行方も知れぬ草むらに

消えて跡無き土となり

姉御に思いを掛くる事

これは、黄泉路(よみじ)の障り(さわり)なり

かまいて、かまいて、姉上様

御寿命、目出度くましまして

父上に巡り会い

自ら最後に

御事づて申しおきて候と

御物語なさるべし

あら、名残惜しの姉御や」と

これを、最期の言葉にて

終に(ついに)空しくなり給う

 

姉上、夢ともわきまえず

「やれ、玉鶴よ、玉鶴よ」と

死骸にかっぱといだき付き

口説き事こそ哀れなり

「かく有るべしと知るならば

何と嘆くと、そのままに

故郷に残せしものならば

さまでのこともあるまじに

姉が別れを悲しみて

遙々、これまで来たる身を

かく成す事の、悲しさよ」と

空しき死骸を

押し動かし押し動かし

悶え憧れ給いけり

 

既に、その日も暮れければ

いづくともなく

尼公(にこう)一人来たらせ給い

「自らは、この辺りに住む者なるが

あまりにいたわしに

御伽(おんとぎ)申さんため

参り候なり

この所は、人里にあらざれば

定めて、虎狼野干のものどもが

服せん(ぶくせん)とて来るべし

去りながら、自ら、かくて候わば

何の子細も候わまじ

心安く思われよ

いたわしさよ」

とぞ、仰せける

姫君、聞こし召し

「あら、有り難の仰せかな

妹が亡き屍(かばね)を

引き去らされんも浅ましく候えば

万事は頼み候」と

御手(おんて)を合わせ給いける

案の如く、虎狼野干のものどもが

その数、数多(あまた)飛び来たり

服せんとしたりしが

三国一の如来、尼公と現じましませば

恐れをなして、獣(けだもの)ども

左右(そう)なく辺りへ寄り付けず

けつく(華着く)色よき草花をくわえ

御前に供えつつ

頭(こうべ)を地についたりける

かかる所に

天とう(天灯)ひとつ現れて天下れば

また、犀川の方よりぞ

りうとう(竜灯)一つ現れて

御前に懸かりける

誠に、直実、遁世の加護もあり

また、兄弟の姫君の

世に類無き御心を

仏神哀れと思し召し

かかる奇瑞のありけるは

世に有り難き次第なり

既に、その世も明けくれば

尼公は忽ち

金色(こんじき)の仏体と現れ給い

「我をば、誰と思うらん

善光寺の如来なり

玉鶴は、定業(じょうごう)なれば力なし

汝が行く末、良きに守りて得させん」

とて、かき消すように失せ給う

姫君は御手を合わせ

あら、有り難の次第やと

虚空を礼し(らいし)給いける

如来、帰らせ給えば

天灯、竜灯も虚空を指して

飛び去りぬ

虎狼野干も、皆ちりぢりになりけり

いたわしや姫君は

行方も知らぬ草むらに

嘆き沈みておわします

 

かかる所に

親子の機縁にや

父、直実は

法然上人の御弟子となり

御名を蓮生坊(れんせいぼう)と申し

行い澄ましてましますが

宿願のことありて

善光寺へ参り給う

互いに姿の変わりければ

それとも更に知らずして

さあらぬ程にて通らるる

姫君は、ご覧じて

 

「のう、如何に、御僧様

これなるは、自らが妹にて候が

只今、空しくなりて候えども

知らぬ旅路のことなれば

誰を頼まんようもなし

哀れ、衣の結縁に

陰を隠して給われ」と

縋り付いてぞ泣き給う

蓮生坊は、ご覧じて

我が子とは夢にも知らず

「げに、いたわしき御事なり

げにや、高きも卑しきも

生死の掟は免れず

未だ、幼き人なるが

かかる姿となり給うは不審なり

定めて、二親(にしん)のためなるべし

さわらば、野辺の送り申さん」

と、かしこより、やりど(遣り戸)を一枚取り出だし

玉鶴姫の死骸を乗せ

先を蓮生、かき給えば

後をば、姫君、かき給う

父が娘の葬礼を

すると知らざる親と子の

心の内こそ哀れなれ

とある、きしかげ(雉隠:きじかげ)に下ろし置き

土中に突き込め、卒塔婆を立て

とある所に向かいて

「つらつら思んみれば

一生は夢の如し

誰か、百年の境を伍せん(ごせん)

釈尊、遂に、跋提河(ばっだいが)の土となり

皆、これ、本来の面目なり

長く生死を切断して

ふたい(不退)のじょうせつ(浄刹)に至らんこと

疑いあるべからず

南無阿弥陀仏」

とのたまえば

姫君も御手を合わせ

有り難の次第やと

念仏申し声をあげ

わっと叫ばせ給いける

蓮生ご覧じ

「理(ことわり)なり、去りながら

今は、叶わぬことなれば

嘆きを止め給うべし

愚僧も諸国を巡り申す僧ながら

かかる縁に参り合い

我が手に掛け申すことも

前世のことと覚えたり

あまりに、いたわしく候えば

行く末長く御弔い申すべし

御身の国、里、父の名字を名乗り給え」

と仰せける

姫君聞こし召し

「名乗るまじとは思えども

行く末かけての仰せこそ

世に有り難き次第なり

いかでか包み申すべき

恥ずかしながら、自らは

国は武蔵、父の名は

熊谷(くまがえ)の二郎直実と申す人にて候らいしが

過ぎし頃、いづくとも無く遁世に出で給い

さて、我々は

継母(ままはは)の計らいにて

か様か様の次第なり

哀れみ給え御僧」

とまた、さめざめと泣き給う

蓮生、はっと思い

「あさましや。今までは

余所(よそ)のことと思いしに

我が身の上にてありけるか」

後世を大事と思いつつ

遁世ぜんごん(善根)思う身が

かかる憂き目を見すること

我がなす罪と思われて

堰来る涙に咽ばるる(むせばるる)

せめては、父ぞと名乗りつつ

喜ばせせんと思えども

待て、しばし我が心

只今、名乗るものならば

裾や袂に取り付いて

よも離れじと嘆かんは

なかなか不憫、勝るべし

その上、熊谷程の者が

心弱くて、かなわじ

さあらぬ程にてもてなして

「さては、直実の姫君にて候かや

それがしも、武蔵の国の者なれば

熊谷殿にも、折々は

お目にかかり候えば

余所の様にも思われず

いたわしさよ」

とのたまいて

共に、涙を流さるる

ややありて、蓮生

仰せけるようは

「過ぎし頃

都にて聞き候いしは

御身の父、熊谷殿は

発心堅固におわしまし

この程は、能登の国

岡部の六弥太忠純どのへ

御上がり有りてまします由承り候なり

父に会いたく候わば

能登の国へ、尋ねて行かせ給うべし

かまいて、かまいて申すまではあらねども

この土へ生を受くる者

末の別れは、逃れ無し

只、願うべきは

菩提の道にて候ぞや

御身の妹を善知識、御示しと思いつつ

嘆きを止め給うべし

名残惜しくは候えども

修業の身にて候えば

暇申してさらば」

とて、立ち退き給えば

姫君、袂(たもと)に縋り付き

「あら、有り難の教化かな

去りながら、只今、御僧に離れ申すこと

父、直実に別れし時の悲しさも

いかでか勝り申さん」と

衣の袖に縋り付き

口説き嘆かせ給うにぞ

心強き直実も

目眩れ(めくれ)心も消え果てて

共に涙は堰あえず

「限りのあらば

又こそお目にかかるべし

さらば、さらば」

とのたまいて

名乗らで通る親と子の

心の内こそ哀れなり

 

いたわしや、姫君は

御僧にも別れ

行方も知らぬ雉隠(きじかげ)の

印の墓に倒れ伏し

しばし消え入り給いしが

落つる涙の暇よりも

「あら、無惨の玉鶴や

姉が別れを悲しみて

遙々これまで来たる身を

かかる土中に捨て置きて

行かんと思う心こそ

我が身ながらも恨めし」

と、声を上げてぞ泣き給う

嘆きて叶わぬことなれば

印の卒塔婆に打ち向い

「いかに玉鶴よ

名残惜しくは思えども

姉は叔父御を頼りつつ

能登へ行くぞ

さらば、さらば」

とのたまいて

お墓を立ち退き給いしが

さすが、別れの悲しさに

又、立ち帰り

「玉鶴よ、玉鶴よ」と

印の卒塔婆を押し動かし

消え入る様び泣き給う

涙と共に、能登の国へと急がるる

とにもかくにも

姫君の心の内

哀れともなかなか

申すばかりはなかりけれ

 

六段目

 

 

その後、桂の前は

能登の国になりしかば

忠純の門外に立ち寄り

内の程を窺い給えば

番の者ども立ち出でて

「何者なれば不審なり

そこ立ち退けと引っ立つる」

姫君ご覧じて

「恥ずかしながら自らは

武蔵の国、熊谷の二郎直実が姫

桂の前とは自らなり

さる子細にて参りしなり

上へ申して給われや

人々いかに」

と仰せける

番の者ども、大きに驚き

「今までは、誰や人と存ぜしに

許させ給え、姫君様

こなたへ入らせ給え」

とて、急ぎ、直家に参り

この由かくと申しける

直家、立ち出で見給えば

桂の前にてまします故

「やれ、それなるは

桂の前か

我こそは直家なり」

「のう、兄上にてましますか」と

思わず知らず取り付いて

これはこれはとばかりなり

やや有りて直家は

「さあらば忠純へ申すべし

いざ、こなたへ」と

兄弟、うち連れ

忠純の御前に出で給う

忠純、見給い、

「珍しや桂の前

これへこれへ」

と、仰せける

忠純の北の方

「未だ幼き身をもって

かなたこなたの憂き思い

いたわしや」

とのたまいて

御手を取り組み、泣き給う

 

忠純の仰せには

「この上は鎌倉に下り

本望遂げて得させん」と

兄弟をうち連れ

鎌倉指してぞ下らるる

鎌倉になりぬれば

直家兄弟を、宿所に残し置き給い

やがて、御所へ出で給う

折節、君の御前には

和田、秩父、左右にして

千葉、小山、宇都宮

八カ国の諸大名

膝を連ねておわします。

頼朝、忠純をご覧じ

「珍しや、六弥太

北国に、変わる子細は無きか」

との御諚なり

忠純、畏まりて

「ざん候、君の御恵の深き故

民の竈(かまど)もにぎあい(賑あい)

賎(しず)が身に至るまで

君、(ばんぜい)万歳と仰ぎ申す事

あっぱれ、ぎょうしゅん(尭舜)の御代と申すとも

いかで勝り申すべき

偏(ひとえ)に、源氏の御威光

行く末久しき印にて候」

と申し上ぐる

らいちょう(頼朝)御感、浅からず

 

さて、忠純は、

いかにして、直家がことを

申し出でさばやと思いつつ

とやかくと案じ給うが

きっと思い出し

秩父に向かってのたまうは

「それがし、不肖の身にて

能登の守護を給わる事

家の面目、世の聞こえ

この君恩の報ぜん事

何事にても

飽きたらず存じ候所に

一門のその内に

ご成敗に預かる事

家のかきん(瑕瑾)に存じ候

あっぱれ、その頃、忠純が

在鎌倉にて候わば

人手にはかけ申すまじ

それがしが、手に掛けて

討ち捨てざることの

無念に存じ候

重忠殿」

と申さるれば

君を初め奉り

一座の人々

知ろし召されぬことなれば

「忠純は、さて何事を申すぞ」

と、呆れ果てておわします

忠純、この由見るよりも

『さては、このこと

上(かみ)には知ろし召されず

平山と継母が業に、紛れなし』と思い

「ざん候、熊谷の小二郎直家をば

君よりの仰せとて

平山討って候」と申し上ぐる

頼朝、大きに驚かせ給い

「それそれ、平山召せ」

との御諚なり

畏まって候と

やがて、平山召し出す

らいちょう(頼朝)ご覧じて

「いかに平山、

熊谷の小次郎をば

誰やの者が、汝には申しつけて討ったるぞ

いかに、いかに」

と仰せける

季重、はっと思いしが

さ(あ)らぬ程にて

「ざん候、直家

信濃の国にて討たれたるよし

承り候故

某も、縁者の儀にて候えば

無念に存じ

急ぎ、上聞(じょうぶん)に達し

敵を討たんと存じ候所に

山賊、ごうどう(強盗)の難に遭うて死したるか

又は、朋輩の意趣をもって討たれたるか

事の子細を聞き届け

申し上げんと存じ

只今まで延引(えんいん)仕るところに

かえって、私(わたくし)討ったるなどとは

存じもよらぬ御事なり

某も、かれ(彼)と逃れぬ仲にて候えば

やみやみと討たせ候こと

無念に存じ候えば

哀れ、君のお慈悲に

ご詮索を遂げられ

敵(かたき)を仰せつけられ候わば

有り難く存じ候」と

まことしやかにのたまえば

その時、忠純、罷り出で

「いかに、平山殿

それがし、能登にて、承り候は

君よりの仰せとて

御辺の討ったると聞きつるが

さては、我らの空耳にてや候わん

さりながら、ここは御前にて候ぞ

少しも虚言の給うな

しかとそうか」と申さるる

季重聞きて、

「こは、曲もなし、岡部殿

御辺、彼と親しきとて

さようの僻事(ひがごと)のたもうかや

我とても、逃れ申さぬことどもは

上にも知ろし召されたり

何たる証拠の候て

御前にて

左様の僻事のたもうぞ」と

げに、涼しくぞ申しける

忠純聞いて

「さては、それがしが誤って候なり

自然、証拠の出ずることも候べし

もし、証拠出でて候わば

その時つがわん(告がわん)返答を

よっく工み(たくみ)置かるべし」

忠純、御前に打ち向い

「直家事、戦場にて、討ち死に仕らんと候らいしを

郎等(ろうどう)の安高が諫めにより

能登の国へ打ち越えしを

それがし、言上申さんと

留め置きて候て

この度、召し連れ申すなり

哀れ、直家、召し出だされ

御尋ね候えかし」と申し上ぐれば

らいちょう(頼朝)は、聞こし召し

急ぎ、召せとの御諚なり

畏まって候と

やがて、使いを立てらるる

直家、御前罷り出で

平山を見るよりも

「いかに、平山

いつぞや、それがし物詣での折節

武勢、心に任せずして

やみやみと討ち負けしを

さぞ、言い(ゆい)甲斐無くや思われん

既に、その時、討ち死にすべき身が

御辺、私軍(しぐん)の計らい

重ねて顕し申さんため

後ろを見せて落ちしなり

定めて、御辺の心には

直家、戦場にて

討たれたると思われたるか

季重」と

はったと睨んで申しける

弁舌、達っせし季重も

返答に及ばずして

赤面してぞ居たりける

 

よりとも(頼朝)はご覧じて

「前代未聞の曲者なり

季重をば、切腹申しつけよ」との御諚にて

やがて、御前を引き立てる

継母は、女の事なれば

命を助け、国中を払うべし

さて又、直家には

本領に子細なし

その上、父直実も

都、黒谷(※比叡山)に有ると聞く

妹の桂をば

五條の中将としざね卿(?)に縁を仰せ付けらるる

都へ上ぼせ(のぼせ)

父が先途を見果てさせよ」との御諚にて

やがて御判を下さるる

 

直家は、謹んで

有り難し、有り難しと

三度戴き(いただき)

御前を立ち

平山に切腹させ

熊谷に人を使い

継母を引き立て

武蔵の国を払いける

 

さて、桂の前を都に上ぼせ

としざね(俊実)卿の北の方へ備えける

さて、直家は

熊谷に帰り

富貴に栄え給いけり

かの直家の威勢の程

貴賤上下、おしなべて

皆、感ぜぬ者こそなかりけり

 

右者大夫直之正本を以令板行者也

大伝馬三町目

鱗形屋孫兵衛開板