中将姫御本地

説経正本集第3(45)

刊期・所属 不明
(推定:天満八太夫系)

大伝馬三丁目 鱗形屋孫兵衛新板

 

去る間、
和州持田の郡
当麻(たへま)の曼荼羅の由来を
詳しく尋ぬるに
神武天皇より四十七
廃帝(はいたい)天皇の御宇に
大織冠に四世の孫
横佩(よこはぎ)の右大臣、豊成(とよなり)と申し奉るを
難波の大臣とぞ申しける
然るに、豊成
御子一人、おわします
御名をば、中将姫と申して
十三になり給う

お姿、慈しく
秋の月に異ならず
御顔(おんかんばせ)は春の花
露を含める御有様
翡翠の簪(かんざし)青うして、丈長く
愛嬌の眦(まなじり)
丹花の唇、鮮やかに
笑める歯茎に愛あれば
只、夏の蝉の羽を
七重に重ねた如くなり
桂の黛(まゆずみ)嫋やか(たおやか)に

辺りも輝く、御風情
聞く人ごとに押し並べて
恋せぬ者はなかりけり

しかれども、中将姫
乳房の母に過ぎ遅れさせ給いけり
豊成、不憫に思し召し
今の御台に、縁を結ばせ給いけり

去れば、姫君
少しも、隔てましまさず
継母の命に、従いて
良きに孝行ましませば
継母の母上も
底の心は知らねども
上には、姫君に
御愛おしみ(いとおしみ)を垂れ給う
豊成、斜めならずして
明かし暮らさせ給いけり
これはさて置き、御門には
難波の大臣を召されつつ
内々、中将姫を聞こし召し及ばれたり
「年の暮れか、明くる春は
秋の宮に置き給わん」
との宣旨あり

豊成、畏まって
御前(ごぜん)を罷り立ち
館に帰らせ給いつつ
御悦びは限り無し
去れども、一つの難儀有り
昔より、継子、継母の仲良きことの
あらざれば、
御台所の御心、
忽ちに入れ替わり
如何にもして姫君を
失わんと、企まれける
心の内こそ恐ろしけれ

我に親しき若者を
密かに近づけ
「汝は、冠(かんむり)肩衣(かたぎぬ)にて
朝な夕な、中将姫が方へ出入りせよ」
と仰せける。
畏まると申して
常々、出入りしたりけり

さて、その後に
当御台、大臣殿に近付き
「如何に、語らば、聞こし召せ
承れば、姫の方へ
怪しき者の、通う由
申しならわし候ぞや
誠に女の身程、浅ましきことなけれ」
とて、先ず、空泣きをなされける
豊成、この由聞こし召し
「未だ、幼少の者なれば
何とて、左様にあるべきぞ
それは、人の偽りならん」
と、の給えば、御台所の給う様
「我も左様に思え共
去りながら、事の体を
物陰より見給うべし」
との給えば、豊成は、思わずも
御台と打ち連れ出で給うは
姫君の運の窮めと聞こえける

中将姫のおわします
御座近く、成りしかば
年の頃は十七八と打ち見えて
衣冠正しき若者
忍び顔にて出でにけり
豊成、この由、ご覧じて
腰の刀に手を掛け
飛び掛からんとし給うが
『待て暫し、我が心、
きゃつを誅(ちゅう)するものならば
返って、我が身の恥辱』
と、思し召し
時ならぬ、顔に紅葉を散らし
何とも、物をの給わで
在りし所へ立ち帰り
余りの腹に据え兼ねて
竹岡の八郎経春(つねはる)を召され

「如何に経春
中将姫を引き立て
雲雀山へ連れ行き
失え」とぞ仰せける
 経春、承り
「これは、如何程の御咎(おんとが)ましまして
斯くは御諚の候ぞや
お恐れ(おおそれ)ながら某に
御預け候え」
と、謹んでぞ申しける

豊成、聞こし召し
「思う子細のある間、早早急げ」
と仰せける
経春、重ねて申す様

「何と仰せ候えども
この義においては
一先ず、預かり奉らん」
と、涙と共に申しける

大臣、気色を引き替え
「我、親の身として
子を失わんと言う事
深き咎と思うべし
汝、承引せずんば
中将姫、諸共に、勘当なり」
と、の給いて、
御座を立たせ給いけり

『せまじき物は宮仕え
我、奉公の身ならずば
掛かる思いのあるべきか』
何掻き集めし、藻塩草
進退、ここに極まりて
是非をも更に弁えず
去れども、叶わぬことなれば
涙と共に常春は
御台所に参りつつ
女房達を近づけ

「姫君の御事を
未だ知ろし召されずや
君の御気色悪しくして
急ぎ、失い奉れと仰せ付けられ候ぞや
如何にもして、この事
申し宥め給われと、
経春(つねはる)が来る由
申し上げられ給われ」

と、涙と共ににぞ申しける

女房達、承り
この由、申し上げれば
北の方、の給うは
「経春が申さずとも
我も左様に思えども
世の常ならぬことと聞く
ただただ、豊成の御心に任せよ」
と、愛想なげにぞ仰せける

局、帰りて、斯くと言う
経春、重ねて申す様

「尤も(もっとも)にては候えども
只、一旦の御気色
その上、まだ、ご幼少のことなれば
如何程の咎の候べし
かつうは、御子にてましませば
叶わぬまでも、今一度
お申し宥め候わば
御台の御ためも
然るべきにて候えば
理(り)を曲げてこの事を
御申し宥めあれかし」
と、重ねて申し上げれば
御台所は、気色を変え
出居まで、出でさせ給いつつ

「如何に、経春
御身は、未だ知らざるか
世の常の事ならず
姫の方へ通う者
幾人とも限りなし
日々の事なれば
それを如何で自らが
申し宥め候べき」
重ねてばし申されそ

あら、難しや」
との給いて、
簾中差してぞ入り給う

経春、面目(めんぼく)なく
呆れ果てて、居たりしが
つくづく、案じける様は

『これは、偏に、当御台
なさぬ仲にてましませば
謀り(たばかり)事と覚えたり
例えば、左様にあるとても
乳房の母にてましまさば
申し宥め給わんに
なさぬ仲の浅ましや』
と、一人口説き泣き居たり
零るる涙の暇よりも
『兎角、姫君を我が館に、移し奉り
幾度も、申し訳仕らん
それに、承引(しょういん)無きならば
腹切って、死なんには
何の子細のあるべき』
と、案じ澄まして帰りける
かの八郎が心の内
頼もしきとも中々、申すばかりはなかりけり

 

 

二段目

 

去る間、
経春は、如何にして姫君を
助けんとは思えども
検使の付くに、定まれば
思うに甲斐はなかりけり
経春、心に思う様
『この上は、力無し
御首を給わり
豊成に見せ申し
その後、某、遁世して
御菩提を弔わん』
と、思い定めて
検使を乞い、姫君のお供して
雲雀山へと急ぎける

げにや、光陰矢の如し
羊の歩みを待つに似たり
程なく山にもなりぬれば
ある谷川の片辺(かたほとり)に
姫君を降ろし奉る
哀れなるかな、姫君は
御輿よりも、出で給い

「如何に、経春
かかる寂しき山中に
何とて、連れて来れるぞ
不思議さよ」
とぞ、仰せける

経春、由を承り
何とも、物を言わずして
涙に暮れてぞ居たりける
姫君は、ご覧じて
「心許なや、経春よ
何とて、物を申さぬぞや

如何に、如何に」
と、の給えば

経春、涙を押し留め
「今は、何をか、包むべき
父、大臣の仰にて
君を失い申さんため
ここまで、具足候」
と、涙と共にぞ申しける

姫君、夢とも弁えず
「それは誠か
悲しや」
と、消え入る様にぞ泣き給う
落つる涙の暇よりも
口説き事こそ、哀れなれ

「母に離れてこの方
片紙がその内も
忘るることのあらざれば
心、慰むことも無し
今、経春が、自らを
これまで、具し連れ来たりしも
慰めん為かと、思いしに
思いの外に引き替えて
自らを、誅せよとや
これは、継母の業なるか
あら、情けなの次第」
とて、悶え焦がれて泣き給う

御涙を押し留め
「やあ、如何に、経春
自ら、前世の宿業(しゅくごう)にて、

汝が手に掛からん事
命に於いては、露、塵程も
惜しからねど
親の不興を得し者は
月日(げつじつ)の光にも
掛からずとこそ、承れ
何として
自らは、父にて候人には
捨てられ申すぞや
よし、それとても、力無し
我、七歳の時よりも
母上の御為に
毎日、お経、六巻づつ、読誦申し
候えしが
今日は、未だ、読誦せず
最期なれば、今一度
読み奉らんに
片紙の暇を得させよ」
と、涙と共にの給えば

経春、承り
「勿体なし、姫君様
御最期のことなれば
何時に変わり、只今は
お心静に、読誦あれ」
とぞ、申しける
中将姫、聞こし召し
御涙と諸共に
敷き皮の上に押し直り
右の御袂より、
浄土経を取り出だし

さらさらと押し開き
迦陵頻(かりょうびん)なる御声にて
読誦あるこそ、殊勝なれ
去れども、姫君
父大臣に、お名残や惜しかりけん
偏(ひとえ)に落つる涙
降る雨に異ならす゛

労しや、姫君
余りお心の、やる方無さに
ようよう、お経三巻
読ませ給いつつ
「一巻は母の為
又、一巻は、父の大臣殿
現当(げんとう)二世の御為

今、一巻は、自らが、臨終の正念にて
九品の浄土に迎え取らせ給え」

と,泣く泣く、回向を遊ばされ

「如何に、経春
自ら死してのその後に
構いて構いて、
後の恥ばし現すな
よくよく、隠し申すべし
又、自らが首を取り
父の御目に掛けんとき
我が顔に、付きたる血を
よくよく洗いて、お目に掛けよ
必ず、命を惜しみたるとな申しそよ
如何にも、最期
よかりけると、語るべし

 自ら、心の行かん程は
念仏を申さんに
十念終わらば、首を取れ」
と、丈なる御髪(おぐし)を
きりきりと、唐輪(からわ)に上げ
西に向かいて手を合わせ

「南無西方の弥陀如来
例え、後生、三重に罪深くして
十方浄土に選ばれ申す女なりとも
只今のお経、念仏の功力により
母上様、諸共に
西方極楽浄土に、迎えさせ給え」
と、十念、高く唱え給い

「如何に、経春
早く首取れ」
と、の給えば
八郎(※経春)、太刀、抜き持って
お首、切らんとしたりしが
お姿を見奉れば
あまり、敢え無く

太刀を、彼処に、からと捨て
泣くより外のことは無し
姫君、この由、ご覧じて

「愚かなり、経春
左程に、不覚なる者が
父の仰せを被りて
自らを、誅せん為
これまで、具足したる身の
心弱くては、叶うまじ
善に強くば、悪にも退くことなかれ
如何に如何に」
と、の給いて
伏し沈みてぞ泣き給う

経春、涙を押し留め
「その御事にておわします
まだ、幼少の事なれば
左程の御咎もあるまじきに
やみやみと打ち奉らん事
お心ねの労しや」
と、また、醒め醒めとぞ泣き居たり

姫君、涙と諸共に
口説き給うぞ哀れなり
「親の憎む、その子をば
一門、内の者までも
憎むとこそ、聞きつるに
如何なれば、経春は心優しく候いて
我を左様に哀れむぞや

今の御身が志し
草の陰にても、如何で
忘れ申すべき
見しものと思いなば
後世をば問うて得さすべし
さのみに、ものな思わせぞ
如何に、如何に」
と、仰せける

経春、承り
「あら、愛おしの、御事や
乳房の母上の
憂き世に、ましまさば
如何で、斯くはあらん
為さぬ仲の浅ましや」
と、案じ煩い、居たりしが
きっと、思い付け

『この君を失いて
恩賞に預かり、千年万年を
保つべき、身ならねば
例え、姫君、助け置き
我が身の事はさて置き
一門眷属、引き出だされ
づたづたに切らるるとも
如何で、助けで、あるべきぞ
去れども、検使に斯くと(※言い:欠落)
もし否と言うならば
きゃつめが、細首
打ち落とさんに
何の子細、あるべき』
と、案じ澄まして
検使の者に斯くと言う

「我も左様に存ずれば
いざや、助け申さん」
と、姫君を引き立て奉り
とある所に、庵を建て
経春が、女房を呼び寄せて
経春申すに

「如何に、三郎(※検使役)
我は、都へ帰り
姫君の御事を
如何様にも申すべし
御身は、ここに留まりて
女房と諸共に
姫君を、良きに労り給うべし
さらば、さらば」
と申しつつ
都をさしてぞ帰りける
かの経春が志し
頼もしきとも、中々
申す斗はなかりけり

 

 

三段目

 

去る間。父、大臣は
侍どもを、召し出され
仰せ付けられける様は
「姫が事を、経春に
申し付けてありけれども
今に、とこうを申さぬなり
急ぎ、経春がもとに行き
子細を尋ねて参れ」
とありければ

畏まって候とて
経春がもとに行き
由を斯くと申しける
八郎(※経春)、承り

「参候、疾くにも参り
申し上げんと存知しが
姫君の死骸を火車が掴みて候えば
申し上げるべき様はなし

哀れ、御許させ候わば
只今、伺候仕り
姫君の御最期を、御物語り申し上げ候と、
申させ給え」と
言いければ
遣いの者、立ち帰り
この由、斯くとぞ申しける

大臣、大きに腹を立て
「推参なる次第かな
居ながらの返事
不義の至りなるべし
如何に、誰かある
理非を言わせず

経春を連れて参れ」
と仰せける

承って候と
器量の兵ども、二十余人、相語らい 

八郎が宿所に駆け付け
案内に及ばず
各々、内に、つつっと入り

「如何に経春殿
君よりの御諚には
中将姫の御印(みしるし)
見させ候わぬぞ
又、検使の者も如何なり候やらん
これも、子細の知らざれば
詳しく御尋ねあるべきに
急ぎ、参るべし」
と申しける

経春、聞きて
「尤も、各々」と
同心申し
「参るべく候えども
何とやらん、今日は心の向かざれば、
重ねて参り、事の様を申すべし」
と言いければ
この者ども聞くよりも
「憎き、今の言葉かな
このまま、帰るものならば
生害な、しと言われんず

いざ、引き立てて、行かん」
とて各々、左右に、飛び掛かれば
八郎、本より大力
「何程のことあるべき」と
掛かる者を、取りては投げ
取りては投げ
残り奴原、四方へ、ばっとおっ散らし
郎等どもを近づけ

「定めて、君より、討っ手の
向かうべし
とても叶わぬことなれば
汝等は、これよりも
何処(いづく)へも落ち行きて
見し物と思いなば
後世をば、問うて得さすべし
早、疾く疾く」
とぞ申しける

郎等共、聞くよりも
「こは、口惜しき仰せかな
如何で、主の御先途を
見届けずして
落ち申さんや
是非、お供」とぞ申しける

経春、聞きて
「げに、頼もしき心かな
さあらば、用意せよ」
承り候と
最期の出立ち、したりけり

案の如く、大臣殿より
大勢押し寄せ、鬨の声をぞ上げにける
経春、この由、聞くよりも
予て、悟したることなれば
大勢の中へ割って入り
ここを先途と戦いける

多勢に無勢、叶わねば
経春が郎等ども
皆、悉く討たれたり
今は、こうよと思い
敵を四方へおっ散らし
門の内に、つつと入り
鎧の上帯、切って捨て
腹、十文字に掻き切り
手ずから、首を掻き落とし
明日の露と消えたりし
経春が振る舞い、
上下万民、押し並べて
皆、感ぜぬ者こそなかりけり

 

四段目

 

哀れなるかな、姫君は
空しき命を逃れつつ
物憂き山の御住まい
心の内こそ哀れなり
経春、討たれたる由を
風の便りに聞こし召し
今は、頼みも槻弓(※尽きる)の

やる方も無き御風情
去れども
中井の三郎と、経春が女房
落ち穂を拾い、物を乞い
良きに労り奉り
空しき月日を送らるる

ある時に、信綱(※中井三郎)
重き病うを引き受けて
万死の床に伏しにけり
中将姫も、女房も
後や枕に立ち寄り
「如何に、信綱
心は、何とありけるぞ」
と、尋ね給うばかりにて
山中の事なれば、癒やしとても
尽くさん様も無し
泣くより外の事は無し
哀れなるかな、信綱は
今を最期と見えし時
介錯せられ、起き直り
「如何に、姫君様
さて、某は
娑婆の縁、尽き果てて
冥途の旅に赴くなり
我、世に永らえ候わば
父大臣の御前にて
事の様を申し上げ
御世に、あらせ申さんと
明け暮れ、これのみ思いしに
今日を限りの身となれば
思うに甲斐はなかりけり
構いて、構いて、姫君様
命を全う持ち給え
神は正しきの(まさしきの)
頭(こうべ)にましませば
遂には、父上に
合わせ給わん御事は
鏡に掛けて、覚えたり
某、只今、死せん命は
惜しからねど
姫君のお心、推し量り参らせ
お名残惜しく候う」
と、これを、最期の言葉にて
明日の露とぞ消えにけり

中将姫も、女房も
これはこれはと、斗にて
消え入る様にぞ無き給う
姫君、涙の暇よりも
口説き事こそ哀れなり
「ああ、浅ましや、自らは
父上には捨てられ
経春は、討ち殺す
かかる寂しき山中にも
汝をば、頼りにて、憂き日数をば送りしに
今又、汝に離れつつ
自ら、何となるべきぞ
行かで叶わぬ道ならば
我をも共に、連れて行け」
と、甲斐無き死骸を
押し動かし、押し動かし
声を上げてぞ泣き給う

女房、申す様
「お嘆きは、理(ことわり)なり
去りながら、最早、叶わぬ御事なり
如何にもして、死骸をば
取り隠し申すべし」

山中のことなれば
頼むべき、僧も無し
女房、姫君、諸共に
土掻き除けて、死骸を埋ずみ
塚の印に松を植え
自ら、お経遊ばし
良きに、回向なされける

ある時に、姫君、
称賛浄土経を書き写し給いつつ

「如何に、女房
聞き給え
そも、この経と申すは
釈迦仏の弥陀の浄土を褒め給いたる経なれば
常に読誦し給いて
夫の経春に、供養(きょうよう)あれ」
と、の給えば

経春が女房、有り難き次第とて
お経を給わり
それよりも、女房は
髪を剃り落とし
尼になりて、月日を送らるる
心の内こそ哀れなれ

これはさて置き
難波の大臣
春も半ばのことなるに
思い立たせ給いしは
『皆々、山の雪も消え
谷の氷も溶けつらん
雲雀山(さん)に打ち越え
狩りして、心を慰まん』
と、数多の勢子(せご)を催して
雲雀山(さん)へと出で給う

山にもなれば
峰々、谷々、狩り下し
心を尽くし給えども
鹿の子のひとつも捕らまえず
大臣、大きに腹を立て
峨々たる峰に駆け上がり
谷を見下ろし給えば
とある尾上に、庵ありて
煙、微かに立ちにけり

豊成(とよなり)、ご覧じて
「昔よりこの山に
人の住みたる事、例し無し
如何様、不思議に候えば
見ばや」
などと思し召し
馬より飛んで降り
間近く寄りて、見給うに
年、十四五の女
覆面をして、机に寄り掛かり
経を書けば、五十ばかりの尼
差し添いてぞ居たりける

豊成、ご覧じて
「如何様、野干なる(なり)が
某を謀り(たばかり)
迷わせんためなるべし
いでいで、奴(しゃつ)めに
もの見せん」
と、思し召し
蟇目(ひきめ)を取って打ち番い

しばし、固めて、ひょうど放つ
去れども、姫君
仏の化身にてましませば
御身には障り(さわり)無く
庵の上に、弥陀の来迎ましましてこの矢、
机にはっしと立つ
姫君、驚き給いつつ
「こは、何者の業なるぞ」
と、走り出でんとし給えば
尼公、姫君の御矢面に駆け塞がり
勿体なしと引き留め
尼公、出でんとしたりけり
姫君は、縋り付き
「矢にばし、当たり給うなよ
御身、空しくなり給わば
自ら、何となるべきぞ
此方(こなた)に来たりましませ」
と、袂に縋り、泣き給う

豊成(とよなり)、この由、ご覧じて
「如何様、これは、人間に疑い無し
事の様を尋ねん」

「如何に、それなる女
掛かる人里遠き深山に
住みけるは、如何なる者にてありけるぞ
その名を名乗れ」
と仰せける
姫君、立ち出で給いつつ
「ご不審は理(ことわり)なり
我、十三歳の時に
継母の御気色、悪しくして
既に、この山にて
失われ申さんを
去る郎等の情けにより
今まで、永らえ申すなり
例え、自らを
失わせ給うとも
この尼御前(あまごぜ)は
自らに一方(ひとかた)ならぬ
忠の人にて候えば
助けてたべ」
とぞ仰せける

豊成、思い合い
「御身が父の名をば
何(なに)と言うぞ」
と問い給う
「恥ずかしながら
難波の大臣」
と、言いも果てさせ給わぬに
「やれ、我が子にてありけるか
父、豊成は、我なり」
と、互いに、ひしと抱だき付き
先ず、先立つは、涙なり

ややありて、姫君は
「如何に、父上様
自ら、彼が情けにより
命、永らえ候えども
親に不孝の輩は
三世の諸佛菩薩も
御憎みあると承る
自ら、父上の御不興
受けしことなれば
生き甲斐、更に、候わず」
と、伏し沈みてぞ泣き給う

豊成は聞こし召し
「恨みはさこそ、おわすらん
偽りを知らずして
御身を失い申せとは
申し付け候えども
年頃の人を見るたびに
御身の憂き世にあるならば
斯程にこそ、おわすらめと
思い忍ばれ候えば
念仏申し、経を読み
回向したる印にや
再び、会う(おう)たる嬉しや」
と、口説き嘆かせ給いける

御涙を押し留め
「いざや、都へ帰り給え」
と、の給えば
姫君は聞こし召し
「参候、お供申したくは候えども
継母の御事
自らに、一旦辛くましませども
後の親を親にせよと
申す例えの候なり
この事、穏便なり給わば
お供を申すべし
しからずば、この山にて
朽ち果つべき」
との給えば

豊成、聞こし召し
「さても御身は
仁義正しくましますよな
兎角、御身の心に任すべし」
と、の給えば
姫君、聞こし召し

「その義にて、ましまさば
お供を申すべし
如何に女房、今一度(ひとたび)
信綱(※中井三郎)に暇乞いせばや」
とて、塚の辺(ほとり)に立ち寄り

「やあ、如何に
信綱よ、御身が言いしその如く
父上に会い参らせ
我は、都へ上るなり
草の陰にても
さぞや嬉しく思うらん
掛かる物憂き所にも
汝に名残が惜しまれて
後に心が、留まるぞや
暇申して、信綱
ああ、名残惜しや」
と、の給いて
御輿に召されつつ
都を指して帰らるる

これは、さて置き
当御台、この由を聞こし召し
「如何にとして、中将姫に
対面申すべし
所詮、この館を出で
会うまじき」
と、思し召し
夜半に紛れて、館を出で
知る人あれば、尋ね行き
頼む由を、の給えども
この者、内々、伝え聞き
情けを捨てて、寄せざれば
兎角、一門を、頼まばやと思し召し
御身、親しきご一門の方へ行き
頼む由をの給えども

「御身の様に
人然(ひとしか)らぬ輩は
一門の内へは無用とて
さも、荒気なく、追い出す

今は早、当御台
身の置き所、在らざれば
「所詮、憂き世に永らえて
人に指を刺されんより
如何なる川にも
身を沈めん」
と、思い切り、ある淵へ行き給い
叶わぬままに、身を投げて
底の水屑となり給う
御台所の最期の体
憎まぬ、人こそなかりけり

 

 

五段目

 

去る程に、中将姫
雲雀山(さん)よりお帰りましまして
月日を送らせ給いしが
程なく姫君
十六歳になり給う
然るに、姫君
后の位に、備わり給うに定まれば

姫君、思し召す様は
『我、十全、万葉の位に
備わり申すとも
無間八難の底に沈みなば

その甲斐、更にあるまじき
この度、世を厭わずば
何時をか(ご)せん

自ら、忍び出でん事
不孝の至りに候えども
自ら、浄土へ参りつつ
父を迎え申さん事
真実の報恩にてこそあらめ』
と、思う心を先として

その夜に、奈良を出で給い
七里(しちり)の道を忍びつつ
当麻(たえま)を指してぞ急ぎける
お寺になりぬれば
ある僧房に立ち寄りて

出家の望みをの給えば
上人、ご覧じて
「未だ、幼き御身にて
如何で、遂げさせ給うべし
留まり給え」
と、止め給う

姫君は聞こし召し
「我は、無縁の者なれば
頼りとても候わず
殊に、親のご恩の為
思い立て候えば
平に下ろして給われ」と
涙と共にの給えば
上人、哀れに思し召し
「さあらば、結縁申さん」
と、丈と等しき御髪(おぐし)を
やがて、下ろさせ給いけり
その後、戒(かい)を授けつつ
則ち、名を、ぜんにびくに(禅尼比丘尼)と付け給う
ある時、禅尼比丘尼

本堂に七日、籠もらせ給いつつ

 「我、しょうじん(生身)の弥陀如来を、拝み奉らずば
門戸をば出でまじき」

と、大願を立て給い
一食(じき)てうさい(調菜)にて
不断念仏申しつつ
一年かけてぞ、籠らるる

仏も哀れに、思し召し
第六日に当たり
天平(宝字)七年(763年)六月十六日の酉の刻

五十余りの尼と現じ
中将姫のお側(そば)に来たり給い
「汝は、しょうじん(生身)の弥陀を
拝みたくば
蓮の茎を、百駄、調え申すべし
極楽の変相(へんそう)を織り顕して、

見せ申さん」と

仰せ給いて、尼御前
消すが如くに失せ給う
「あら、有り難や」
と、西に向かい、手を合わせ
「願う所の叶いぬる」
と、それより御堂を出で給い
ある者を近づけ
父の方へ参りつつ
この由、斯くと申しける

大臣、不思議に思し召し
頓て、御門に参内あり
この由、奏聞ある
御門、叡聞ましまして
易からぬことに思し召し
おしのうみむらじを召され、
宣旨を下し給えば
畏まり候とて、いちいち次第に触れらるる

近国の百瀬浦(せうら)
勅の応じて、我も我もと着き来たり
当麻の寺に降ろし置き
国々に帰りける

禅尼比丘尼、ご覧じて
喜び給う所に
又、尼御前、来たり給い
彼の蓮の茎を織り
糸、引き出し給う事
有り難かりける次第なり
さて、その後に
御寺の(いぬい)に当たって

俄に、池の出で来たり
水は、五色に湧き出でる
これにて、糸を染め給う
今に至るまで
染殿の池と申すなり

さて、彼の尼御前
虚空を招かせ給えば
十七八の女性(にょしょう)
天人の様なるが
天降らせ給いつつ
乾の隅(すみ)に機(はた)を立て
三世の諸佛も、来迎あり
やがて、曼荼羅織り給う
不思議なるかな
浄土の三部経の中巻
無量寿経の一部始終を織り顕し
中将姫の御前(おんまえ)に置き給い
虚空に失せ行き給いけり

さて、その後に、尼御前
彼の曼荼羅をお寺の正面に掛け給い
中将姫を近づけ、教え給うぞ有り難き

「これは、弥陀の三尊
あれは、三十七尊

これは、青(しょう)黄(おう)
赤(せき)白(びゃく)黒(こく)の花、

咲き乱るる所なり
あれに、拝まれ給いしは
宝珠の本にして
弥陀の三尊
法を説かせ給えば
多宝世界の聖衆(しょうじゅ)来たりて
弥陀を供養し給う所なり

その外、諸菩薩と
いちいち次第に教え給えば
中将姫
御袂に縋り付き

「これほどに
尼御前の大恩を受けながら
ご恩を報じ申さずば
木石(ぼくせき)にも劣るべし
御名は何と申すぞ
又、何処にか(いづくに)ましますぞ」

尼公(にこう)は、聞こし召し
中将姫の頂(いただき)を
三度、撫でさせ給いつつ

「我はこれ、西方極楽世界の主(あるじ)
阿弥陀如来なり
汝が心を悟りつつ
これまで、現じ来たりたり
又、曼荼羅を織りたるは
我が左の脇立、観世音菩薩なり」
と、雲に乗じ給いつつ
虚空に上がらせ給いけり

禅尼比丘尼はご覧じて
「有り難し、有り難し」
と、三度、礼拝、なされける
今に至るまで
当麻の(いぬい)に

観音堂建て置かれしはこれなり

しかれば、中将姫
当麻寺に十四年ましまし
弥陀如来の誓いを顕し
遍く、衆生を導き給う
禅尼比丘尼の御法力
尊しともなかなか
貴賤上下押し並べて
感ぜぬ者こそなかりけれ

 

 

六段目

 

去る間
宝亀六年(775年)四月十三日のことなるに
近国の者共、この由聞くよりも
我も我もと
当麻寺に参りつつ
貴賤群集(くんじゅ)夥しく
禅尼比丘尼、の給うは、

「如何に、聴衆の方々
自ら、生年二十九年
明くる十四日には
大往生を遂ぐべきなり
今宵は、各々
ここに、通夜を申され
末期の説法、聴聞あれ
自ら、女なれども
何れも、疑う事無くして
よくよく悟り給うべし

忝くも、釈尊、
ほうかいほんじ(法海本地)と申し奉る時

この界の衆生を
西方極楽世界へ
やり給わんと、ありしに
阿弥陀如来
法蔵比丘にてまします時
必ず、安養世界へ
向かい取り給わんと
固く誓約し給う

掛かる有り難き
二尊の御慈悲を弁えず
憂き世の栄華に望み
彼方此方と迷う事
妄執と言い、因果と言い
そのまま、三途の大河に沈み
紅蓮、大紅蓮の氷に閉じられ

餓鬼、畜生、修羅、人天、天道を
流転し
ここにては生まれ
彼処にては死し
生々世々(しょうじょうぜぜ)のその間
浮かむ世更になからん事
なんぼう、浅ましき事にはあるまじきや

しかれども
弥陀本願の有り難きは
例え、左様の罪深き悪人なれども
只、一心不乱に
南無阿弥陀仏
助け給えと申さん時
そのまま、来迎ましまし
極楽世界の上品上生に
導き給わん事
何の疑い候べき
よくよく、聴聞ありて
念仏を申させ給え」

と、高らかに述べ給うに
継母の母
二十丈ばかりの大蛇となって
中将姫の説法を妨げんと
御堂の前に出で給い
この蛇、声を上げて言う様は


「如何に、中将姫
我をば誰とか思すらん
恥ずかしながら、御身の為に
なさぬ母にて候なり
自ら、憂き世に在りし時
思い詰めたる念力を
如何で無になすべき」と
鱗を奮い、角を振り
舌、差し延べて
言いけるは、恐ろしかりける次第なり
中将姫、ご覧じて
御涙を流し
「あら、浅ましのお姿や
斯様のお心にてこそ
蛇道には、落ち給え

例え、左様にましますとも
自ら、隔つる心無し
幼くして(いとけなく)母に遅れ
御身を母と頼みしに
為さぬ仲と思し召し
嫉ませ給う、浅ましや
今より後は
その悪念を振り捨てて
仏果に至りましませ」
と、御手を合わせ給いつつ

諸々の仏の中に
菩薩の御慈悲は
大乗のお慈悲にて
罪業深き、女人、悪人なれども
又は、有情非情の草木に至るまで
漏らさず救い給わんとの

御誓いにてありければ
自らが継母をも
救い取らせ給え」
と、よくよく念願ましまして
その後、大蛇に打ち向かい

「如何に、母上
今より、悪心振り捨て
念仏唱え給え
そも、この名号は
釈迦の一代に説き表し給いける
諸経の功徳は
弥陀名号の中に
納まり候えば
往生極楽の望みを遂げんは
疑い無し
掛かるが故に
八万諸聖経、皆是(かいぜ)阿弥陀仏
と、説けり
 この心をよくよく、聴聞ありて
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と
唱え給え」と
の給えば
忽ち、大蛇
苦しみを逃れ
黄なる涙を流し
「あら、有り難の御事や
掛かることとは知らずして
悪念を作る事の浅ましや
今より後は、御身を偏に頼むなり
導き給え」
と、の給いて
大蛇、則ち、仏果を遂げ
虚空に上がり給いけり

今に至って
當麻寺の北に当たって
染殿の池よりも
四月十四日の練り供養
蛇の形したる物、出でる事
其れ、隠れ無し

斯くて、その日も暮れければ
お寺にありし人民
明日は、禅尼比丘尼
御入滅と聞きしかば
その夜の明けるを待ち居たり

五更の天も明けくれば

禅尼比丘尼、高座の上より
四方をきっとご覧じ

「如何に、方々
後生を願うといっぱ
弥陀の御名を、唱え申すに
しくはなし
知識の念仏も
方々の様なる
愚痴無知の輩
悪人、女人の申されし念仏も
別に差別(しゃべつ)は候わず
ここに、悟りの目の前に
己心(こしん)の弥陀
拝み申す事あり

己心の弥陀を信じ
西方の弥陀を願わぬは
返って、悟りの眼(め)いらざる所なり
浄土宗の見る
己心の弥陀と申するは
弥陀の悟りを申すなり
その悟りの上に
光明赫奕(かくやく)たる
お姿を顕し
念仏の行者を
いちいち、浄土へ導き給うなり

掛(か)るが故に
浄土宗の心は
弥陀浄土正覚の内証を
忽然として
その上、忽ち
不思議の尊容を現じ
迷いをも、悟りをも、漏らさず
救い給う故、超世の本願とは申すなり

又、無量寿経の門に(※文に)
「光明遍照(へんじょう)十方世界
念仏衆生,摂取不捨」
と、説けり
然るに、光明とは、仏の身より光り放ち
遍く照らし給うを言えり
又、十方とは、東西四維(しゆい)上下を合わせて、十方と申すなり
世界とは、十方の国土なり
これ、服う(まつらう)しき心とは申すなり

さて又、しんごう(身光)とは
十方の国土に
あらゆる念仏の衆生をば
遍く照らして
念仏の行者の身を
照らし給うをしんくわう(身光
とは申すなり

摂取とは、
則ち、収め取るという心なり
又、不捨(ふしゃ)とは
摂取の力を加えて
念仏申す行者を守り
御心(みこころ)を放ち給わねば
不捨とは申すなり
いちいち、この心を聞き分けて
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
と、唱え給え」
と、高らかに述べ給う
「さて、自らも
今日は四月十四日
大往生を遂げん」
とて、御心も、弱弱と見えさせ給いしが
「南無阿弥陀仏」と
の給いて
御年、二十九歳にて
大往生を遂げさせ給う

お寺にありし人々
さあらば、
「野辺に送り奉らん」とて
数多の御僧、供養して
野辺に送り給いけり
掛かる所に
俄に、紫雲棚引き
虚空に妙音聞こえ
異香薫じ、花降り
弥陀の三尊
顕れ給えば
菩薩、道々、中将姫を
救い取らせ給いけり
有り難しとも中々
申すばかりはなかりけり

 

 

右は大夫直の正本なり
大伝馬三丁目
鱗形屋孫兵衛新板

注釈
中将姫(ちゅうじょうひめ、天平19年8月18日(747年9月30日)- 宝亀6年3月14日(775年4月22日))は、奈良の当麻寺に伝わる当麻曼荼羅を織ったとされる、日本の伝説上の人物。

 

奈良県御所市に持田があるが、当麻寺とは少し離れている。

 

當麻寺(たいまでら)は、奈良県葛城市にある7世紀創建の寺院。法号は「禅林寺」。山号は「二上山」。創建時の本尊は弥勒仏(金堂)であるが、現在信仰の中心となっているのは当麻曼荼羅(本堂)である。西方極楽浄土の様子を表した「当麻曼荼羅」の信仰と、曼荼羅にまつわる中将姫伝説で知られる古寺である。毎年5月14日に行われる練供養会式(ねりくようえしき)には多くの見物人が集まるが、この行事も当麻曼荼羅と中将姫にかかわるものである。

 

淳仁天皇(じゅんにんてんのう、天平5年(733年) - 天平神護元年10月23日(765年11月10日))は、日本の第47代天皇(在位:天平宝字2年8月1日(758年9月7日) - 天平宝字8年10月9日(764年11月6日))。古文書では廃帝(はいたい)または淡路廃帝(あわじはいたい)と呼ばれる。諱は大炊(おおい)であり、践祚前は大炊王(おおいおう)と称された。

藤原 豊成(ふじわら の とよなり、大宝4年(704年) - 天平神護元年11月27日(766年1月12日))は、奈良時代の貴族。
藤原南家、左大臣・藤原武智麻呂の長男。
官位は従一位・右大臣。別名難波大臣、横佩大臣(よこはぎのおとど)。
かつらのまゆずみ 【桂の黛】 
三日月のように細くひいた黛。また、その眉。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あき‐の‐みや【秋の宮】 
中国で、皇后の御殿を長秋宮(ちょうしゅうきゅう)と呼んだことから、皇后の住む御殿。また、皇后。

 

ひばり‐やま【雲雀山】
 
中将姫が捨てられ、かくまわれたという伝説の山。奈良県宇陀市にある日張山(ひばりやま)のことといわれる。
日張山青蓮寺 
奈良県宇陀市菟田野宇賀志1439

 

もしお‐ぐさ【藻塩草】   藻塩をとるために使う海藻。掻(か)き集めて潮水を注ぐことから、和歌では多く「書く」「書き集(つ)む」にかけて用いる。
 

ぐ‐そく【具足】  引き連れること。
 

しゅく‐ごう〔‐ゴフ〕【宿業】 
仏語。現世で報いとしてこうむる、前世に行った善悪の行為。すくごう。

日本の浄土教諸宗においては、下記の漢訳経典を「浄土三部経」という。
『仏説無量寿経』2巻 曹魏康僧鎧訳(略称『大経』)
『仏説観無量寿経』1巻 劉宋?良耶舎訳(略称『観経』)
『仏説阿弥陀経』1巻 姚秦鳩摩羅什訳(略称『小経』)

かりょうびんが【×迦陵頻×伽】 
《(梵)kalavikaの音写。妙声・美音・妙音鳥などと訳す》雪山(せっせん)あるいは極楽浄土にいるという想像上の鳥。聞いて飽きることない美声によって法を説くとされ、浄土曼荼羅(まんだら)には人頭・鳥身の姿で表される。

 

 

げん‐とう〔‐タウ〕【現当】 
仏語。現世と来世。この世とあの世。現未。げとう

く‐ほん【九▽品】
 
1 仏語。

浄土教で、極楽往生の際の九つの階位。上中下の三品(さんぼん)を、さらにそれぞれ上中下に分けたもの。上品上生(じょうぼんじょうしょう)・上品中生・上品下生(げしょう)・中品上生・中品中生・中品下生・下品(げぼん)上生・下品中生・下品下生の九つ。ここのしな。

「九品浄土」「九品往生」「九品蓮台」などの略。

 

 


 
からこ‐まげ【唐子×髷】
 
中世から近世へかけての元服前の子供の髪の結い方の一。唐子のように髻(もとどり)から上を二つに分け、頭の上で二つの輪に作ったもの。近世、女性の髪形となった。からわ。

 

 

じゅう‐ねん〔ジフ‐〕【十念】

「南無阿弥陀仏」の名号を10度唱えること。

 

か‐しゃ〔クワ‐〕【火車】  
仏語。生前悪事を犯した亡者を乗せて地獄に運ぶという、火の燃えている車。また獄卒が呵責(かしゃく)に用いるという火の車。
 

しょう‐がい〔シヤウ‐〕【生害】 
[名](スル)自殺すること。自害。

で‐たち【出立ち】
   出かけるときの服装。転じて、身なり。いでたち。


 

つき‐ゆみ【槻弓】

槻の木で作った弓。つくゆみ。

しょうさんじょうどきょう〔シヨウサンジヤウドキヤウ〕【称讚浄土経】 
経典の名。1巻。唐の玄奘(げんじょう)訳。(650年訳出)。「阿弥陀経」の別訳。

称讚浄土仏摂受経。

 

ひき‐め【×蟇目/引目】 
《「響目(ひびきめ)」の略。射たときに音を響かせるところからいう。また、穴の形が蟇の目に似ているからともいう》朴(ほお)または桐(きり)製の大形の鏑(かぶら)。また、それをつけた矢。犬追物(いぬおうもの)・笠懸(かさがけ)など、射るものに傷をつけないために用いた。本体に数個の穴があり、射るとこの穴から風が入り音を発するところから妖魔を退散させるとも考えられた。

※ 人でなし

 

あらけ‐な・い【荒気ない】 
[形][文]あらけな・し[ク]《「ない」は意味を強める接尾語》ひどく荒々しい。粗暴である。
 

まんよう【万葉】

多くの時代。万世。よろず世。ばんよう

 

む‐けん【無間】 
《「むげん」とも》 「無間地獄」の略

 

はち‐なん【八難】 
1 仏語。仏を見ず、法を聞くのに妨げとなる八つの境界。地獄・餓鬼・畜生・長寿天・辺地・盲聾(もうろういんあ)・世智弁聡(せちべんそう)・仏前仏後。

 

ごする【期する】

( 動サ変 ) [文] サ変 ご・す

その事を成し遂げようと決意する。きする。

 

ぜん‐に【禅尼】

仏門に入った在家の女性。

禅定尼(ぜんじょうに)。

びくに【▽比▽丘尼】  
《(梵)bhiksunの音写》出家得度して具足戒(ぐそくかい)を受けた女性。尼僧。



しょう‐じん〔シヤウ‐〕【生身】
  仏・菩薩(ぼさつ)が、衆生済度(しゅじょうさいど)のため、父母の体内に宿ってこの世に生まれ出ること。また、その身。仏の化身。

いち‐じき【一食】 
仏家で、1日に一度だけ、午前中に食事をすること。頭陀行(ずだぎょう)一食法。一座食

 
ちょう‐さい〔テウ‐〕【調菜】 
食物、特に副食物を調理すること。調理。

 

ふだん‐ねんぶつ【不断念仏】 
特定の日時を決めて、その間、昼夜間断なく念仏を唱えること。常念仏。不断の念仏。

とり【×酉】
3 時刻の名。今の午後6時ごろ、およびその後の2時間、または午後6時前後の2時間。

 だ【駄】 
[接尾]助数詞。馬1頭に負わせる荷物の量を1駄として、その数量を数えるのに用いる。
 
へん‐そう〔‐サウ〕【変相】

 極楽や地獄のありさま、また仏教説話などを絵解き風に描いた仏画。浄土変相・地獄変など。変相図。
 

 

 

忍の海連:忍海氏(忍海造・忍海連)は開化天皇皇子の建豊波豆羅和気王の後裔で、忍海部(飯豊青皇女の御名代部)の伴造。大和国忍海郡の地名に由来する)

乾:北西の方角

 

 

そめ‐でら 【染寺】  
奈良県葛城(かつらぎ)市にある浄土宗の石光寺(しゃっこうじ)の通称。天智天皇のころの創建と伝えられる。中将姫が曼荼羅(まんだら)を織った糸を染めたという井戸があるところからの名。

さんじゅうしちそん[さんじふしち―] 12 【三十七尊】 

金剛界曼荼羅の成身会のうちに配された三七の仏・菩薩・仏神のこと。金剛界三十七尊。

マンダラの色彩は、原則的に五色からなる。すなわち青色、黄色、赤色、白色、黒色である。顕教(密教以外の教え)では、

黒色をのぞいて四根本色というが、これを五正色(ごしょうしき)といって極めて大切にする。

(1)青色(しょうしき)

:他の色に勝る力をもち、『金剛頂経』系では阿關如来にあて降伏のシンボルとする。

(2)黄色(おうしき)

:他の色を加えるとさらに光源を増し、それでいて自分の側にある自性を失わない色。胎蔵界の色で増益の色ともいわれる。

(3)赤色(せきしょく)

:金剛界の色で、ものを燃焼させる力をもつ。通常は不動の色身(赤不動)に例があるように降伏法に用い、また愛欲貪染

(あいよくとんぜん)すなわち愛染(ラーガ)の色でもある。

(4)白色(びゃくしき)

:清浄な意で大日如来の根本的な色彩。如来部を総称する色でもある。通常は胎蔵界を赤色にあて、金剛界にあてるが両

部に通じる色で息災法にも通ずる。

(5)黒色(こくじき)

:諸々の存在、物質を隠す性質をもつ。調伏法の根本的な色で、涅槃の色ともいわれている。

 

導き観音
中将姫さまの剃髪堂に祀られている十一面観音像で、「導き観音」と呼ばれて信仰されています。中将姫さまを常に導いたという守り本尊さまのお姿を平安時代に木彫で表した像で、十世紀後半にさかのぼる作とみられています。

ほう‐かい〔ホフ‐〕【法海】 
仏語。仏法の広大なことを、海にたとえていう語。のりのうみ。


ほん‐じ〔‐ヂ〕【本地】 

 本来の姿。本体。

ぐれん‐じごく〔‐ヂゴク〕【▽紅×蓮地獄】
 
仏語。八寒地獄の第七(鉢特摩(はどま))。ここに落ちた者は、寒さのために皮膚が破れて血が流れ、紅色の蓮の花のようになるという

しょうじょう‐せぜ〔シヤウジヤウ‐〕【生生世世】 
《「しょうじょうせせ」とも》生まれ変わり死に変わって経る多くの世。未来永劫(みらいえいごう)。
 

じょう〔ヂヤウ〕【丈】  

尺貫法の長さの単位。10尺。1丈は、かね尺で約3.03メートル、鯨尺で約3.79メートル

.じゃ‐どう[:ダウ]【蛇道】

死後蛇身に生まれかわるという世界。または蛇に生まれかわった世界、また、その苦しみの状態。

う‐じょう〔‐ジヤウ〕【有情】 
《(梵)sattvaの訳》仏語。感情や意識など、心の動きを有するもの。人間・鳥獣など。


ひ‐じょう〔‐ジヤウ〕【非情】

 仏語。草木土石など、感情のないもの。 

浄土教古徳之偈
 十方三世仏(じっぽうさんぜぶつ)、一切諸菩薩(いっさいしょぼさつ)、八万諸聖教( はちまんしょしょうぎょう)、皆是阿弥陀(かいぜあみだ)」.

[ 十方三世の御仏、一切の諸 菩薩、八万の諸聖教は、みなこれ阿弥陀 也 ]

当麻寺練り供養
5月14日の中将姫の忌日に行われる。

 

當麻寺本堂である曼陀羅堂から東方にある娑婆堂まで長い架け橋が渡される。曼陀羅堂は本尊當麻曼陀羅にあらわされる西方極楽浄土を象徴し、これに対して娑婆堂はこの俗世界を象徴する。その二つを繋ぐ橋は来迎(らいこう)橋。娑婆と浄土を繋ぐ最短距離の白い道である。

 午後4時をぎると、僧侶が娑婆堂に向かい、まさに来迎をむかえんとする中将姫を囲んで読経を始める。やがて鐘が鳴ると極楽浄土の観音、勢至、地蔵菩薩が二十五菩薩を従えてまっすぐに来迎橋を下って来る。

 読経の中、娑婆堂に至った観音菩薩は金蓮台に中将姫を遷し、勢至菩薩は光り輝くその両手で中将姫を優しく撫でる。娑婆の世界に別れを告げた中将法尼は菩薩聖衆に護られて来迎橋を渡り、極楽浄土に向かう。まさに極楽の曼陀羅堂にいたらんとするとき、夕日が二上山にかかり、あたりは西方浄土の様相に包まれる。

 

こしん‐の‐みだ【己心の▽弥×陀】
 
阿弥陀仏は、極楽浄土にあるのではなく、自分自身の心にあるということ。唯心(ゆいしん)の弥陀。己身の弥陀。
 

 

ちょうせ‐の‐がん〔テウセ‐グワン〕【超世の願】 
《三世の諸仏の誓願を超えてすぐれていることから》阿弥陀仏の四十八願のこと。特に、第十八願をさすこともある。超世の悲願。

 

じっ‐ぽう〔‐パウ〕【十方】
1 東・西・南・北の四方、北東・南東・南西・北西の四隅と上・下の方角。

まつら・う〔まつらふ〕【▽服ふ/▽順ふ】 
 [連語]《動詞「まつ(奉)る」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」。上代語》従う。服従する。

 

しん‐こう〔‐クワウ〕【身光】 
光背の一。仏像の体部の後ろにある長楕円形または円形のもの。