越後國 柏崎
      
弘知法印御伝記(ほうちほういんごでんき)    
      
江戸孫四郎 正本  
大伝馬三町目

 

 

 弘知上人 初段

さても其後(そののち)
つらつら人界の善悪を観ずれば 
色声(しきじやう)香味(かうみ)触法(そくほう)とて 
六塵の境(きやう)に迷い 
六根につくる罪咎
輪廻の絆と也、いつの時にか免れん
されども一念転じて見る時は 
煩悩は菩提生死、即ち涅槃也
爰に本朝五十八代光孝天皇の御宇
越後の国には 大沼権之太夫秋弘(あきひろ)とて 
長者一人(いちにん)おわします
家富み家内(けない)繁栄にて弥彦の麓に住み給ふ
去年(こぞ)の春 妻室に遅れ給へ共(ども) 
嫡子 権之介弘友(ひろとも)とて 生年は廿四 
器量ゆゆしく、
嫁子は 渡部(わたべ)の形部重国の息女柳の前とて 
今年は十九才 此御腹に千代若とて 
三才の御孫まします
其の上に又ぞや御身ただならずましませば 
末の代かけて頼もしく 
何に不足はあらね共 
高きも低(ひき)きも 色香(しきかう)に迷ふあだ心 
本(もと)より弘友美男風流世にすぐれ 
若き人にてましませば 
悪所に心をうつしつつ 
ゑならぬ道の宿(やど)通い
世のあざけりも顧みず 
秋弘本意なく思し召し常々制し給へども
いささか承引あらざるは
是ぞ嘆きの端ならん
扨又家の郎等には 
弥彦の藤太信時(とうだのぶとき)はむなしく也 
嫡子荒王(あらおう)信竹(のぶたけ)とて 
十八才に成りけるが 
大力(だいりき)の荒者 
若年なれども 父が子なれば家老職にて 
弘友の膝元去らぬ義理者也
その外、家来広ふして 
明かし暮らさせ給ひける
是はさて置き 
その頃越後の国柏崎と申す所は 
北陸(ほくろく)道七カ国は申すに及ばず 
秋田坂田廻船運送の津 
惣じて 海陸(かいろく)往還の泊まりなれば
遊君白拍子数を尽くし 
旅人(りょじん)を慰め世を送る所なれば 
色にふける人々は 
主(しゅ)親(おや)の勘当得て 
﨟次(らっし)を乱す事どもは
げにも悪所と云ひつべし
去程に 権之介弘友は 荒王を伴い 
本より好きの色小袖 
網笠目深に引かふて 
面(おもて)は忍ぶ風情にて 
姿は人目に余りたる出で立ちにて 
柏崎へと急がるる 心の内こそうたてけれ

さて又館には 父の長者は嫁子(よめご)を近づけ
「御身今迄知らざる事はよもあらじ
我が子なれどもあの権之介弘友めは 
親子(しんし)夫婦の道を知らず
親の諫めを用いず
不義千万の奴なれども 
親の慈悲にて今迄は堪忍する
昔が今に至る迄 
嫉妬なき女人(にょにん)あらばこそ。
夫の不義諫めぬは 
却って妻の不覚也
その上、親の身なれば 
さながら言葉に表し難き事もあり
お方(かた)いかに」
との給へば。柳の前は聞こし召し
「恥ずかしながら 
父上様の仰せにて候らへば 
今は何をか包み申すべき
自(みずか)らとてもなどか妬みのなかるべき
去りながら 思し召してもご覧ぜよ
父上の仰せをだにも聞入れ給はぬその人が 
よもやわらはが申せばとて 
やはか承引ましまさん。
却って 浮名を流す河竹の
節々(ふしぶし)なるをご覧ぜば
父上様のご立腹 尚も重也候はば
夫(つま)の為わらはが為 
せめて人目の慎ましさに 
風聞を存じつつ
胸のほむらを押し包み 
色に出さぬ我が心
思いやらせ給へ」
とて 泪を流し給ひける
秋弘は聞こし召し
「扨も賢(けん)なる心かな
御身が様成る賢女は 
又二人ともよもあらじ。
去りながら 此のまま差し置く物ならば 
悪所にて 何たる虚事(きょじ)をかし出(い)だし 
家失なふのみならず
末代の恥辱取らんより 
きゃつめを勘当して 
親子(しんし)の久離切るべきか
余り憎ければ 此の上は我れ悪所へ行て 
諸人の前にて恥を与へ 
若し異議に及ばば打て捨てん、お方」
とて 座敷を立って悪所をさして出で給ふ 
父上の御心、げに断りとぞ聞こえける
此れは扨(さて)置き その頃 
越前敦賀の津より坂田へ下る廻船に 
篠原右源次とて 上方に隠れなき
有徳人の風流(ふりゅう)者 
荒川だん蔵とて 大力の大男を伴い 
柏崎に着岸せしが 
船中の者共大勢打ち連れ
新町に上がり 
遊君集めて酒盛りして遊びける
かかる所へ、大沼権之介弘友は 
弥彦を打ち連れ、此の由を見給ひ
「いかに弥彦、
あの座敷へ通らずば 
日頃馴染みの遊女どもに
臆したりと見られては
なかなか無念の次第也
如何せん」
との給へば、
本より血気の荒王丸
「何程の事か候べき
少しも異議に及ばば 
某に御任せ候へ」
と、云ふより早く 
主従編み笠取ってかしこへ投げ
「こなたへ御免候へ」
とて、主従共に脇差の鞘にて 
右源次とだん蔵が頬下駄を
したたかに打ち当てて 
断りもなく座敷へむんずと直りける
本より右源もだん蔵も曲者(くせもの)なれば
「珍しや 此の座敷へは腰刀横たえ
目明きに似たる盲目(もふもく)が来るぞ
道を空けて通せ
眼(まなこ)もなくて 
大小は何の用にか立つべき
おかしい生き者かな」
とぞ笑いける
荒王聞いて
「こなたの事にて候か
眼(まなこ)見へねば
どなたも知らず許させ給へ
先ず御知人(ごちじん)に成り申さん」
と、だん蔵が傍へ探り寄る風情にて
飛び掛って両腕をかい掴み
「きゃつめは口の悪き奴なれば 
座敷ふたげに取って捨てん」
と云ふままに 
遥かの庭へ投げければ 
築山の立石に当たって 
微塵になって失(う)せにけり
一座一度に騒ぎ立て
「狼藉者余(あま)さじ」
と、ひしめく所に 
荒王、太刀ひん抜き飛び掛れば 
篠原右源かなはじと思ひ
水際(みづぎは)をさして逃げ下り 
急ぎ舟に乗りければ 
船頭ども荒王に追っ立てられ 
我も我もと舟に乗り 
沖をさして漕ぎ出だす
荒王は、大勢ばっと追っ散らし
立ち返る所を
誰とは知らず空け舟の陰より 
つつと出で、
後ろより、荒王が両腿(もも)を薙ぎければ 
薄手とは云ひながら 
筋を切られうつ伏しにかっぱと伏す
此の男、首を取らんと立ち寄る所を 
かい掴み、首ねじ切って 
立ち上がらんとせしかども 
足の筋を切り離せば 
叶はずかしこに伏しけるを 
所の者共(ども)立ち寄り 
肩にひっかけ入りにける、
かの荒王が働き 
感ぜぬ者こそなかりけり。

 

 

二段目

 

 

其後 無念なるかな 
荒王は所の者に介抱せられ 
弘友の御傍に近付き
「君には御手は負はせ給はずや
某は薄手にては候へども 
足の筋を切られ
腰立たずしては
命有りて詮もなし
只今自害致し候べし
君はさらぬ体(てい)にて
館に帰らせ給ふべし」
と、云ひもあへず 
自害せんとする所を 
人々押さへ
「こは不覚なる荒王殿
命永らへ御用にこそは立たずとも 
菩提の道に入り給ひ 
君の御行く末を見聞き給ふが本意也
死しては何の益か有る
いつ迄も所の者が見放すまじ
平に平に」
と、諫むれば 
道理に服(ぶく)し止まりけり

かかる所に 
館より、しりべの惣次が馳せ来たり
「柳の前様の仰せには 
父上様の御立腹甚だしく 
只今それへ御越し候へば 
御身を隠し給へ」
との、御告げに参りたる由、申しける
弘友、大きに驚き
「こはいかがせん」
と、の給へば 
宿の亭主遊女ども
「大殿(おおとの)の入らせ給はば
ただ大方(おほかた)の事あらじ
とやせんかくや」
と、うろたへける
荒王、思案し
「屈強の手立て有り、斯様々々」
と、云ひければ、人々聞いて
「げに是は良かるべし。それそれ」
と、云ふままに 
駄賃馬(だちんま)一疋引き出だし 
弘友の装束を馬子に着せ 
大小差させ、馬に乗せ、先に立て 
弘友は馬子が衣装を着替へ 
切れ編笠にて顔隠し 後に下がって
さらぬ体にて出でらるる
案の如く、父の長者は
供人少々、召し連れ 
上の山より、見つけ給ひて
「そこを通るは正しく弘友と覚へたり
しばし止まれ」
と、声かけ候へば 
馬子、大きに驚き 
駒に鞭(ぶち)打て、逃げたりける
秋弘、見給ひ
「やあ、おのれ弘友 
いづくへ逃ぐるぞ 
とどまれ」
と、追っかけ給へど 
こなたは老人の徒路(かちじ)
彼は馬上の事なれば 
行き方知らず見失い 
力及ばず立ち帰り給ふ所に、南無三宝 
権之介、馬子が衣装を着給ひ 
父にほうど行き当たり 
はっと驚く拍子に
編笠はづれて現れたり
秋弘見給ひ
「やあおのれが有様なに事ぞ」
と、立腹尚もはなはだしく 
歯噛みをしておはします
弘友は赤面して、
さし俯(うつぶ)いておわします
やや有って、父上
「只今打って捨てんと思へども 
恩愛の慈悲なれば
我が手にかくるも、さすが也
命をば助くる
今日よりしては勘当也
是よりいづくへも立ち退くべし
館へはかなふまじ
そこ立ち去れ」
と、怒りながらも 
泪とともに館を指して帰らるる
力及ばず弘友は 
父の後姿を見送り 
泣く泣く立ち退き給ひける
親子(しんし)の別れぞ哀れなれ
是は扨置き 
館にまします柳の前は 
父秋弘の御越しを 
夫(つま)の弘友の御方へ告げ知らせ給ひしが 
その首尾いかが有らんと 
覚束なく思し召し 
千代若を抱き給ひ 
ひそかに館を忍び出で
道のほとりへ出で給ふ
是は扨(さて)置き 
以前の馬子は 
思ひ寄らざる弘友の装束着て 
馬に打ち乗り 
秋弘に咎められ 
うろたへかしこを通る所に、木陰より 
柳の前は千代若を抱き、馬上を見れば 
小袖羽織の紋所、
正しく我が夫(つま)の紋也
はっと思ひ
「なふそれなるは、弘友にてましますか 
しばし留まり給へ」
とて、つっと立ち寄り 
駒の尾筒(おづつ)にすがり給へば 
馬子大きに驚き 
腰刀ひん抜いて 
振返ってちょうど切る
労しや柳の前 
肩先より脇腹へ切り下げられ 
御手を離し 
彼処へかっぱと倒れ給へば 
馬子は後をも見ずして、逃げのびけり
哀れなるかな柳の前は 
今を限りと見へけるが 
若君に乳(ち)を含め
かすかなる声を上げ 
口説き事こそ哀れ也
「恨めしの我が夫(つま)や 
五百生の奇縁にて 
夫婦と成りし自らを 
何とてかくは切り給ふ
例え自らこそは 
縁尽き果てて憎しとも 
三才の嬰児(みどりご)は 
正しく御身の子ならずや
母が死しては 
たれか育(はごく)み育つべき
今、此時に至りて云ふべきにあらねども 
五月(さつき)雨かや不如帰(ほととぎす) 
鳴り啼く里の多ければ 
胸のほむらを押さへつつ 
色には出ぬ埋火(うづみび)の 
底にこがるる我思ひ 
父上様の御前を 
陰になり、中に立ち 
良きに取りなし云ひ直し 
又此の度 僕(しもべ)を遣はし告げしらせ 
恨みながらも我が夫を 
悪しかれとは更に思わず
陰ながら、忠はすれども仇はせず
かく睦まじき自らを 
刃(やいば)にかけて 
よくは命を取り給ふ
いかに千代若
母が末期の言の葉を慥(たし)かに覚へ 
若しも永らへ成人して 
父に巡り逢(お)ふならば 
いちいち語りて恨むべし
必ず、必ず千代若よ
人ともならば出家に成り 
母が菩提を問うて得さすべし
あら名残惜しの我子」
とて、是を最後の言葉にて 
御歳十九と申すに 
ついにむなしく成り給ふ
哀れなりける次第也
かかる所に 胎内の嬰児(みどりご) 忽ち生まれ出で 
わっと叫ばせ給ひける
かかる折節 
権之介弘友は、父の勘当かうぶり 
面目なければ 知れる方へも頼られず
頃しも長月夕つ方 
麻の単(ひとへ)の肌寒く
行末何を白露の 
消へもやられぬ命にて 
傍らを通り給ふが 
草むらの中に 
幼き者の壱人ならず
二人の泣き声聞こへけり
怪しく思ひ立ち寄りて見給へば 
一人は千代若、一人は只今生まれしうぶ子にて 
死人を見れば我妻也
是は夢かうつつかと 
その侭、死骸に倒れ伏し 
しばし消え入り給ひける
やや有って 
権之介、妻の死骸を見給へば 
左の肩より脇の下迄切り下げたり
「こは何者の仕業ぞや
譬へかかる身に成りても
主を誰と知るならば 
いかで敵を取らざらん
幼き身とてうらめしや
母が敵を父にはなどか知らせぬぞや
又此の生まれし子は 
など胎内にて湯とも水ともならずして 
思ひに嘆きを重ぬるは 
何たる因果の報いぞ」
とて、先づ、うぶ子をば懐に押入れ 
弓手(ゆんで)に千代若をかき抱き 
右手(めて)には妻の死骸を
押し動かし押し動かし 
もだへあこがれ給ひけるは 
げに断りとぞ見へにける
弘友つくづくと無常を感(くわん)じ給へば
「是、皆、我が煩悩(ぼんなふ)色欲の迷ひより事起こり 
親子(しんし)夫婦の嘆きと成り 
一つともって外(ほか)より来たる憂いなし
煩悩即菩提は爰(ここ)也」
と、忽ち発起(ほつき)し給ひ 
泪を留(とど)め
「いかに妻。是を菩提の種として 
発心堅固に修行して 
後世を弔ひ参らすべし
さあらば 御身は却って
我が為には法身仏と存ずる」
とて、三度禮(らい)し
「さあらば仮の色相かへさん」
と、辺りの者を頼み 
穴を掘り
「いかに我が妻、
上の小袖は某に貸し給へ
我が身に触れて寒を防ぎ申さん」
とて、自ら着し
死骸を埋み、印を立て
「扨この若共、
一人ならば何とぞ手立ても有るべきが 
二人はいかでか育つべき
所詮うぶ子をば捨てばや」
と、思し召し 
懐中より取り出だし 
道のほとりに捨て置いて 
少し立ち退き給へば 
いたわしや 嬰児(みどりご)の泣き声に心引かれて 
又立ち帰り抱き上げ 
弓手右手に抱えつつ 
くどき事こそ哀れなれ
「先に生まるるを兄と云ひ 
後(のち)に生まるるを弟と云へる斗りにて 
同父が子なれば、
いづれ隔ての有るべきぞ
去りながら 
兄をば取って、弟を捨つる事 
さぞや恨みに思ふらん
兄とても父が手には育てぬぞや
必ず恨みに思ふな」
と、知恵ある人に云ふ如く 
只今生みし嬰児に 
断り給ふ心の内 
せめて思ひの余りかと 
思ひやるこそ哀れなれ
嘆きながらも懐中より
鬢(びん)鏡(かがみ)を取り出だし 
二つに割りて、半分を
括(くく)り付け
「もし仏神の恵みにて 
人に拾はれ成人して 
兄に巡り逢はん其時の 
印に添えて置くぞ」
とて、今半分は千代若に添へて
「さらば」
と、云ひて立ち退き給へば、南無三宝 
大かめ一疋飛び来たり 
嬰児をかい喰わへ 
山路を差してぞ飛び行ける
弘友はっと驚き 
立ち帰り給へども 
その甲斐さらにあらざれば 
あきれ果ててましますが 
力及ばず、
「南無阿弥陀仏」と回向して 
千代若を抱(いだ)きつつ、
立ち退き給ふ 
心の内こそ悲しけれ
すでにその夜も丑(うし)三つばかりになりしかば 
父、秋弘の門外に立ち寄り 
又、千代若をも捨て置き 
傍らへ身を隠し見給へば
暁方(あかつきがた)に手飼ひの犬が 
しきりに鳴くに目を覚まし 
番の者共立出で見れば 
捨て子有り
取り上げ見れば 
弥彦の守り袋有り
はっと思ひ、急ぎ主君へ申し上ぐる
秋弘立出で見給へば 
疑いもなき千代若也
「いづくへ連れ行たると思ひしに 
扨は母は身を投げ、むなしく成り 
孫をばおうぢに育てよとの 
母が業(わざ)と覚へたり
あふ尤々
なにしにおろか有るべき」
とて、御乳(おち)乳母(めのと)あまた付け 
良きに育(はごく)み給ひける
弘友は是を立聞きて 
悦び給ふは限りなし
此の人々の有様 
哀れとも中々申す斗はなかりけり。

 

三段目

 

 

其後 権之介弘友は
「今は、はや心にかかる事はなし
此の上は高野山に登り 
出家を遂げ 
父母(ぶも)の御為、妻の菩提を祈らばや」
と、思ひ、身の行末はともかくも 
なに、楢の葉の柏崎 
越後の高野、国分寺 
五智の如来に着き給ふ
「実に此の如来 
人王(じんのう)四十五代聖武天皇の勅願にて 
行基菩薩の開眼也
日本扶桑の霊佛なれば
今、此の弘友が、
浮世に望みは候(さぶ)らはず
発心(ほつじん)堅固に成就して 
六根清浄の身となし 
現に即身仏となし給へ」
と、しばらく願念し給ひ 
傍らに立ち寄り 
その夜はそこに籠もらるる
かかる所に、
諸国行脚と打ち見へ 
年の程六旬(りくじゅん)に及びたる老僧一人来たり 
仏を礼(らい)し 
是も傍らへ立ち寄り
後ろの格子へ寄り添ひ 
座禅、観法しておはします
既に其夜も更けぬれば 
無常を示す野寺(のでら)の鐘の音も澄みて 
常ならぬ身は、うば玉の 
夜の衣は肌寒き 
哀れ催す折からに 
磯打つ波に驚きて 
友呼び交わす千鳥の
鳴く音を聞くに付けても 
いとど昔の恋しくて 
心細さは限りなし
かかる所に浦風さっと一通り
身の毛ばっとよだつと思へば 
いづくともなく女性(にょしょう)一人 
権之介の傍(そば)に寄り添い
「珍しや弘友殿
人の恨み世の謗りをもわきまゑず 
色に染み香(か)に愛(め)でて
貪着(とんぢゃく)の思ひに身沈め
夢うつつともわきまへず 
暮らし給ふその人の 
昨日に変はる姿かな
浮世の夢の覚むる時節は今なれば 
起きさせ給へ
なふ弘友殿」
と、有りければ
弘友驚き
「こはうつつなき声音(こわね)にて 
弘友との給ふは 
いかなる人にてましますぞや
殊更、夜陰に、
女性(にょしょう)の声にて覚束(おぼつか)なし」
と、の給へば
「覚へなしとは、恨めしや
二世をかねたる睦言を 
早くも忘れ給ふかや
自らは、御身(おんみ)故、
露と消へにしその恨み
読むと語ると尽きずまじ
生死無量と云ひながら 
女の身にて 
九泉(きゅうせん)にかかる罪障は 
幾許(いくばく)とか思すらん
魂(こん)は冥土に苦しめども
魄(はく)は娑婆に残りつつ 
恨みを語らんその為に 
仮の姿を現す也」
弘友は聞き給ひ
「さては、我が妻の柳の前にてましますかや
御身を害すは我ならず
今思ひ合いたり
いつぞや惣次を使いにて 
告げ知らせ給ひし時 
父に忍ばんその為に 
馬子が衣装に取り替へて 
あらぬたくみをせし故に 
御身の、見損じ給ふは、理(ことはり)也
又、その馬子も 
御身を知らねば 
おのが身を逃れん為 
誤ったりと覚へたり
御身を切りし刀は 
弘友が馬子に貸したる刀なれば 
某、手にこそ掛けね 
我が切ったるに異ならず
斯く段々に謝ること 
凡夫の身には知らねども 
皆、前生の因縁と思ひつつ 
恨みを残し給ふなよ
それ故に、
某も親の不興は被(かうふ)り、
御身を殺すは、
皆、我が一身の業(わざ)なれば 
無量光の罪咎を端的に発起して 
菩提心に赴けば 
恨みは残し給ふなよ」
柳の前、聞き給ひ
「嬉しう候
我が夫、
その心にてましまさば 
何しに恨み残すべき
去りながら 
凡夫の身の悲しさは 
火に逢ふては水を願い 
水に逢ふては火を願ふ
その時々の苦しみに従いて 
変はり易きは凡夫)の心也
只今、御身の親の不興は被(こうぶ)り
妻子には離れ、
悲しみに忘却して、起こりたる道心なれば 
是、皆、色相の迷い也
色相の迷いと云っぱ 
親の不興を被(こうぶ)り 
妻子に別れては 執愛恋慕の迷い
煩悩の冥加也
のう我が夫(つま)」
と、の給へば 
弘友聞き給ひ
「心安かれ柳の前
三千大千世界は破るるとも 
我が発心は破るまじ
実に忘れたり 
千代若をばかやうに計らい 
父、秋弘の手に渡したれば 
現在の孫なれば 
労わり育てて、 
おうぢの跡を継がんは疑いなし
心安かれ我が妻」
と、の給へば、柳の前
「さてこそ、凡夫心(ぼんぷしん)現れたり
何とて、仏に御愛(おんあい)の執念あるべき
娑婆にてこそ、色身(しきしん)に隔てられて知らねども 
今、自らに、色身なければ 
千代若には 
普段は馴れ申さぬ也」
と、の給ふ所に 
傍らなる行脚の僧、声をかけ
「やあ それなるは何者なれば 
先程より、是にて聞けば 
事の仔細は聞かねども 
若き男女の姿にて、
かかる尊とき仏前に、参会(さんかい)して 
戯れの体たらく
言語道断、人外也
出会い者と覚へたり
さあらば、御堂を出でて 
何方にても、参会せよ
早や早や出でよ」
と、怒(いか)らるる
その時、柳の前の姿は、忽ち消へ失せ 
弘友、聞き給ひ
「某は旅の者にて候が 
菩提心に赴き 
高野山を、志し罷り上り候が 
幸いなれば、如来堂に通夜致し候を
女人を、騙(かた)らう
との仰せは心得難し」
と、の給へば、客僧聞き給ひ
「今迄、若き女を騙らいて 
左なしと争ふ曲者 
妄語戒を破りながら 
高野上りは、無益(むやく)也」
弘友、
「去りとては 是に女は候わず
立ち寄りて見給へかし」
客僧、立ち寄り、見給へば 
実にも、女はなかりけり
客僧、呆れたる風情にて
「先程、女の有りしも必定
今、無きも歴然
去りながら 
御身が、上に掛けたる小袖は 
正(まさ)しく女の衣装と覚へたり
いか様仔細、有るべきに 
事を明かさず、とやかく云うは妄語也
本より愚僧は、高野山奥の院に有りけるが 
少し思ふ仔細有りて 
北陸(ほくろく)道を行脚する
懺悔(ざんげ)に罪を滅ぼす
有りのままに語り給へ」
と、の給へば、弘友承り
「実に誤って候也
某は、斯様斯様の次第也」
と、初め終わり、
只今の妻の霊魂 
有りのままに語り給ひ
「此の上は、御僧の御弟子になして給はれ」
と、手を合わせてぞ、の給ひける
老僧は、聞き給ひ
「げに哀れなる次第也
親子(しんし)夫婦は、
前々生の因縁なれば 
良きに付け悪しきに付け 
善行を為し尽くさでは叶はぬ也
去りながら、見性悟道の時には 
善悪共に消滅して、長く生死を離れ
迷ふ時には、六道輪廻の尽くる事なし
さあらば、愚僧が弟子に成り給へ」
とて、既に其の夜は明ぬれば 
傍らへ立ち寄り 
やがて髪を剃り下し 
御名をば、即ち
弘友のひろといふ字は 
弘法の弘(こう)の字なれば 
弘知と付け給ひ 
後(のち)は弘知法印と申しけり
「いかに弘知
御身仏法成就して 
六根清浄に成度(なりた)くば
我が身を、身とも思ふまじ
我が身を、身とも思はねば 
一切衆生、我が身にて 
自他の隔て更になし
隔てなければ 
天地、十方、一仏一心也
さてこそ、天上天下(てんげ)唯我独尊なれ」
と、の給ふ言下(ごんか)に 
弘知は忽ち大悦し給ひ 
夢の覚めたる如く也
その時、弘知、取敢えず
「今迄は 浮世の夢に迷ひつつ 
覚むれば ひとり 月ぞさやけき」
と、詠じ給へば 
老僧悦喜浅からず
「我も一首連ねん」
と 
『夢もなき 世を我からと夢にして 覚むるを見れば 夢にてもなし』
「我をばたれと思ふらん 我こそ弘法大師也」とて 
消すが如くに失せ給へ
「ありがたしありがたし」
と、三度、礼(らい)し 
「さあらば、高野山に上らん」
とて、
それよりも高野山へと急がるる
既に、紀の路に、成りしかば 
傍らより、若き女性(にょしょう)の声にて
「のうのう、客僧
頼み度き、仔細有り」
と、申しける
弘知は、女性の声と聞き 
さらぬ体にて通らるる
女性、呼びかけ
「さても慈悲なき沙門かな
事の仔細も聞かず 
執行者(しゅぎょうじゃ)とは云われまじ」
弘知、実にもと思ひ
「何事にて候ぶろう」
と、立ち寄り見れば
二八ばかりの いふばかりなき姫君 
黄金(こがね)の釜を抱え
「なふいかに客僧
自らは、由有る者にて候いしが 
幼くて父に遅れ 
母一人、有りけるが 
此の程、むなしく成り給ひ候が 
最後に、仰せられしは 
世に有りし時 
黄金の釜を一つ、かしこに、埋ずみ置きたり
いかなる人をも頼み 
夫婦となり、此の釜を掘り出して 
世の助けにせよと 
の給ふ故、只今掘り出し候へども 
妾(わらわ)が力に叶はず
御身に出会い申すも他生の縁にて候へば 
妾をいづくへも連れ行き 
此の黄金(こがね)にて
世を送り給はれや
万事頼み候」
とて、馴れ馴れしくぞ、仰せける
弘知、驚き飛びしさり
「こは思ひも寄らぬ次第也
左様の事は返答にも及ばず」
とて、立ち退き給へば 
女性(にょしょう)追っかけ
「我こそ、第六天の魔王なるが 
汝が修行妨げん為也」
とて、忽ち悪鬼と成りて 
飛び掛からんとすれば 
弘知、少しも騒がず 
持ったる数珠を打ちつけ給へば 
般若の利剣と成りて 
切り払へば 
魔王はかなはず
「実に有難き法力」
とて、虚空に上れば 
利剣は本の珠(じゅ)と成り 
弘知の御手に帰りけり
それからも、高野山、奥の院に閉じこもり 
行いすましておはします
弘知法印の行力、
有難しとも中々申す斗りはなかりけり

 

 

四段目


其後(のち)
かくて、年去り年来たり 
既に七年に成りければ 
今は早や、弘知法印とて 
六根清浄の大知識とならせ給ひ 
さすが、古郷の懐かしく 
修行ながらに 
越路に赴き給ひける
加賀、越中の境なる 
倶利伽羅峠に成りしかば 
道の辺り(ほとり)に、死人の有りしを 
熊、大かめ、集まり 
争ひけるを御覧じ 
「生死の所を定めねば 
不憫なる次第也
回向せばや」
と、思し召し 
立ち寄り給へば 
熊、大かめ、猛りをなして飛び掛る
法印ご覧じ
「あら不憫や
飢へに、つかれて有りけるか
此の法印が、餌食に成らば 
急ぎ立ち寄り
服(ぶく)せよや
如是畜生」
と、の給ひ 
四句(しく)の文(もん)を唱へ給へば 
忽ち、弘知の御身より、光明出でて 
遍満(へんまん)すれば 
不思議や、死人かっぱと起き上がり 
畜生、諸共、天狗と成り
「弘知を魔道へ引き入れん」
と、云ふままに 
非形(ひぎやう)を現し 
飛んで掛かれば 
弘知騒がず
「本より、汝らは護法神(ごほうじん) 
誤ったるか」
との給へば 
天狗共、頭(こうべ)を地に付け
「此の山の倶利伽羅不動の仏勅にて 
弘知の法力を現し 
末世の衆生に、拝ません為なれば 
汝ら障碍をなせとの 
御方便にて候也
全く我々が所為(しょい)にては候らはず
お暇申し候」
とて、消すが如くに失せにけり
扨、法印は不動へ、参詣有りて 
それよりも、越後の國へぞ通らるる
是はさて置き、定めなき世のならい
越後にまします、大沼長者秋弘は 
いつぞや、一子(いっし)権之介弘友をば勘当し 
孫子の千代若を、月とも星とも養育して 
月日を送らせ給へば 
実に光陰は矢の如し 
早や、九つに成り給ふ
されども、如何なる宿世(しゅくせ)の因果にや
年々(ねんねん)に財宝消へ失せ 
今は早や、召し使う者もなく 
祖父(おうぢ)は、今年九つの孫を力とし 
孫、千代若は、七十に余る祖父(おうぢ)ばかりを頼りにて 
麻の単(ひとえ)を身にまとい 
秋弘は、鍬をかたげ、野に出て 
ところを、掘り給へば 
千代若は、籠を持ち 
松の落ち葉を、かき寄せて 
月日を、送らせ給ひしは 
哀れなりける次第也
かかる所に、
木の葉の中より、大きなる、口縄出で
「珍しや千代若、我は、御身が母也」
とて、睦ましげにて、這いかかれば 
千代若、驚き
「なふ、大ぢいさま 
大き成る蛇が、物云ふて 
這いかかり候」
とて、逃げ廻れば
「さのみ恐れそ。千代若」
とて、懐かしげに慕いしを 
秋弘、見つけ 
大きに驚き、鎌を持って切り払い
「かかる蛇身は、頭(かしら)を拉(ひし)ぐにしかず」
とて、鍬、框(くわかまち)にて 
力に任せ打ちける返りが 
秋弘の眉間に当たって 
のっけに倒れ 
忽ち、むなしく成り給ふ
千代若、夢とも弁へず
「こはいかに、祖父御(おうじご)様は、
むなしくならせ給ふか」
とて、祖父の死骸に抱きつき 
声を、ばかりに泣き給ふ 
因果の程こそ悲しけれ
所の者共集まり
「扨も不憫なる次第かな
如何に千代若
祖父(おうぢ)に離れて、
さぞ頼りなく思ふらん
在所の者共、見放すまじ
心安く思へ」
と、教訓する所へ 
高野山に、おわします父の弘友 
今は早や、弘知法印とて 
六根清浄の大知識と成り 
さすが、古郷の懐かしさに、下り給ひ 
道のほとりを通らるる
所の者共立ち寄り
「只今、是に 
往生人の候也
御僧の結縁に、引導、渡して給はるべし
此の死人は、
一年(ひととせ)、大沼長者秋弘と申す 
大福長者の候(さぶら)いしが 
一子に、権之介弘友と申し 
器量はゆゆしけれ共 
親の不興を得て 
行方(いくへ)知らずになり候へば 
その子に、千代若と申す孫を育てて 
月日を送られ候ふが 
如何なる因果にてか 
次第に財宝消え失せ 
今は、かからぬ体(てい)にて 
只今、むなしく成り候」
と、委細に語れば 
弘知法印、はっと思ひ 
本より、我が身の上なれば 
零るる泪を押さへ 
「げに不憫なる次第かな
さあらば弔(とぶら)い申さん」
とて、立ち寄り見れば 
父、秋弘也
「扨は、此の幼児(おさあい)は 
我が子の千代若に疑いなし」
と、見るにつけ、
乳房の面影、ありありと 
消へにし妻の事迄も 
今見る様に思はれて 
父の死骸と、我が子の面影 
かなたこなたを、打ち眺め 
覚へず、零るる泪には 
他所の袂も濡れぬべし
やや有って、法印は、
人々に、見咎められて叶はじと 
零るる泪を押し拭(のご)い
「よその哀れに、愚僧も落涙致し候也
如何に、幼児(おさあい)
扨は、此の往生人は、御身の祖父(おうぢ)よな
おいたはしや
未だ、十にも足らで父母もなく 
父にも母にも 
一人、有る祖父(おうぢ)にさへ離れ 
誠の孤児(みなしご)也
鰥寡孤独(かんかこどく)とて 
仏も是を哀れみ給ふ也
去りながら 
生者必滅、愛別離苦の悲しみは 
娑婆世界の掟
仏も逃れ給はず
されば、悉達太子の
十善の位を捨てて 
難行苦行なされしは 
愚かの凡夫、娑婆の掟を知らず 
此の嘆きに迷い 
叶はぬ事に心を留め 
生死解脱は思わずして 
輪廻の業(ごう)を重ぬる不憫さに 
一切衆生の為に御身を投げ打ち 
八相成道遂げ給ひ 
釈迦仏とは成り給ふ
流るる水、再び帰らず
死したる人も左の如し
今よりは、所の人を父とも母とも頼み 
成人あらば、仏道を修(じゅ)し給へ
髪を剃り、衣を着す斗りを、
出家とは申さず
出家とは、家を出ると書く也
其の家は、材木などにて
大工の作る家にはあらず
誠の家は、陰陽の二柱を立て 
地水(ぢすい)火風の四大(しだい)を以って 
作り立てたる色身也
その家主(いへぬし)は本心也
本より、本心仏性なれば 
四天の家は借り物也と 
悟りを開けば 
色相に心を留めず
心留めねば、天地十方一心にて 
生死(しやうじ)と思ふ心なし
ここを以って 
生死(しやうし)を出る人を
誠の出家とは申す也」
と、委細に教化(きょうげ)し給へば 
所の者共、
「有難き次第」
とて、皆々手を合はせ、礼しけり
其の時、弘知法印は
「幼き人を、諫めんため 
長物語に時を移し候
さあらば、祖父(おうぢ)の骸(から)を葬り申さん」
とて、傍らへかき寄せ 
栴檀(せんだん)の薪を積み 
法印、松明、おっ取り立ち向かい 
則ち、
「一円を表し、葛藤、直入(じきにゅう)
本来、空(くう)」
とて、松明、打ちつけ 
やがて、煙(けぶり)となし給ふ
扨、それよりも 
法印は、所の者に近付き
「愚僧は、高野に住まひする沙門にて候へば 
是より、登山(とうざん)致す也
申す迄はあらねども 
本より馴染みの事なれば 
頼りなき幼児(おさあい)を 
よきに目かけて、給はるべし
愚僧、不慮なる所に、参り会い 
哀れなるかたに心引かれ 
此の幼児に、名残惜しく、はんべれば 
ひとへに頼み申す」
と、の給へば 
いたはしや千代若は、
父とは夢にも知らねども 
実に恩愛の印にや 
衣の袖に縋り付き 
「祖父(おうぢ)様には遅れ参らせ 
又、御僧様に離れては 
何と成るべき悲しやな
人々の語ればこそ 
父とも母とも其の名を聞きし斗にて 
幼き時の事なれば 
夢とも更に弁えず
今、御僧に別るるは 
誠の父に別るるも 
是には、いかでまさるべき
此の上は、御僧の御子になして給はれ」
とて、縋り付いてぞ泣き給ふ
法印は、聞こし召し 
目眩れ心は消ゆれども 
さらぬ体にて
「出家の身にて、子は持たぬ物なれば、叶ふまじ」
とぞ、仰せける
千代若は、聞き給ひ
「子になさるるが嫌ならば 
某が髪を剃り 
御弟子になして給はるべし
いつぞや、人の申せしは 
某が父、弘友は 
高野山に出家を遂げてまします由
風聞あれば 
御僧様の御弟子と成り 
高野へ上り候わば
若も、父上に、巡り逢はんもしれざれば 
とかく、御弟子になして給はれや
それも嫌にてましまさば 
只今、自害して、むなしく成り申さん」
とて、抱き付きてぞ泣き給ふ
所の者共是を見て
「幼くは候へども 
思ひつめて見へければ 
御苦労なりとも髪を剃り 
御弟子になされ候へ」
と、皆口々に云ひければ 
本より法印は望みなれば 
人々の心を憚り給ふ所に 
かくあれば、渡りに舟と思い
「近頃、不肖には候へども 
幼き身にて出家の志は 
是も、仏の御教えと、
存ずれば 
其の義ならば、髪を剃り 
愚僧が弟子に致し申さん」
とて、頓て髪を剃り給ひ 
弘知の弘(こう)を取り
弘嗣(こうじ)と付け給ふ
弘嗣とは、弘を嗣ぐと書く文字也
かく弟子にし給へども 
未だ親子の名乗りはし給はず
兎にも角にも 
弘知、弘嗣の心の内 
哀れとも中々申す斗はなかりけり。

 

五段目

 

 

其後(のち)
弘知法印は、
「さあらば、高野山へ帰らん」
とて、在所の者に、暇を乞い
弘嗣が手を引き立ち出で給ふが 
幼き徒路(かちじ)は、かなわじと思し召し 
やがて、弘嗣を後ろに負(う)ぶいつつ
越路の旅のはるばると 
思ひやるこそ、遥かなれ
と有る所にて、弘嗣が申しけるは
「なふ如何に、師匠様 
申し度き事の侍へば 
降ろしてたべ」
と、申しける
法印は聞こし召し
「云ひ度き事の有るならば、それにて云え」
と、の給(たま)へば 
弘嗣聞きて
「負ぶされながら申さんは 
慮外の至りに候へば 
下へ降りて申すべし 
兎角、降ろして給はれ」
と、身を苛(いら)で、云ひければ
「大人しき弘嗣かな 
何事を云ふぞ」
とて、下ろし給へば 
御前に跪き、
「別(べち)の事には候はず
七尺去って、師の影をさへ踏まず
と、申せば 
まして師匠様の御身に
是を、もたせ奉らば 
如何に幼しとても 
天の照覧、勿体無く候へば 
道の捗(はか)は行かず共 
是より歩み申すべし
師匠様」
とぞ申しける
父、法印は、
我が子の知恵の深きを、聞こし召し 
嬉しさ、限りあらざれば 
とてもの事に 
父ぞと名乗りて、喜ばせんと思はるるが 
「いやいや、是も愛着の切れぬ所也」
と、思し召し 
さらぬ体にて
「大人しき、弘嗣かな。
幼き時は天の赦しも有るぞとよ 
その上、弟子子(でしこ)といへば 
師匠は親に異ならず
幼きうちは、親が抱だきかかへてこそ、
人とはなれ 
汝が、申す所は理(ことはり)なれ共 
幼きうちは、苦しからぬぞ
早や、負(う)ぶはれよ」
と、の給へば 
弘嗣、承り
「某は、何も存ぜね共 
おう爺(ぢい)様の 
常々、仰せられしは 
鷹は死ね共、穂を摘まず
鳩に、三枝の礼有り

と、のたまへば 
鳥類さへも
礼儀は背き申さねば 
如何に幼しとても 
師匠様に頼む心の有るからは 
礼儀を知らぬは
鳥類には劣りたり
仰(おほせ)を背くは事により候へば 
此の儀においては中々かない申すまじ
畏(おそ)れながらも手を引いて給はれ」
とて、なかなか負ぶさる
気色(けしき)は無し
法印力及ばず
「さあらば、かなはぬ迄も、歩め」
とて、弘嗣が手を引き 
そろりそろりと運ばるる
心の内こそ哀れなれ
心は弥猛(やたけ)に思へ共 
今年(ことし)九つの幼児(おさあい)が 
さしも邪険の真砂(まさご)の上 
如何でかなはせ給ふべき
御足も欠け損じ 
血潮に染むる草鞋(そうあい)の 
今一足(ひとあし)も牽(ひ)かればこそ 
道の辺に倒れ臥し 
余(あまり)に足の痛ければ
「少し休ませ給へ、師匠様」
と、の給へば 
師匠見給ひ 
目眩れ心は消ゆれ共 
負ぶはんと云へば負ぶはれず
まして歩む事はかなはず
立っても、居ても詮方無く 
傍らを見給へば 
馬一疋、草を食(は)み 
そばに、当歳(とうざい)ばかりの仔馬有り
又、馬子と見へて 
土手原に、昼寝して、添いたりける
法印、御覧じ 
『あっぱれ、此の馬を借り 
先の宿迄、乗せばや』
と、思し召し
「なふなふ 御辺(ごへん)は此の馬の主ならば 
先の宿迄、此の子を乗せて給はるべし
駄賃は望み次第に参らすべし
如何に如何に」
と、の給へば 
此の男目を覚まし
「某は、此の馬の主なるが 
若し、駄賃も有るならば 
酒手と存じ 
是に待ち掛け候へ共 
御覧の如く、駄馬にて 
子があれば、通り馬には、かなふまじ
先の宿迄ならば 
駄賃、何程出し給はば、貸し申さん」
と、云ひければ 
法印悦び、 
やがて引き寄せ 
弘嗣を乗せ
「我等は、高野山へ上る沙門也
末はるばるの旅なれば 
道を急ぎ給はれや」
馬子は、
「心得候」
とて、口を引っ立て歩みける
斯かる所に 
仔馬しきりにいななけば 
母馬も共に一声(こえ)いななきける
本より弘知法印は 
六根清浄あきらかにて 
仔馬のいななくを、聞き給へば
『乳が飲み度し』
と云ふ事也
又、母馬のいななきは 
『此の客僧たちは 
高野山へ上り給ふ僧なれば 
世の人に変はり 
菩提に縁有る御僧也
道を急ぎ給へば 
先の宿迄、堪(こら)へよ』
と、云ふ事なり
法印聞こし召し
「扨も、鳥類畜類迄 
人に変はらぬ心ざし
殊更、恩愛の哀れは 
何も同じ事也」
と、思し召し
「しばらく爰に休むべし
駒に乳を飲ませよ」
とて、頓て弘嗣を抱だき下ろし 
傍らに腰を掛け 
休み給へば 
駒は悦び 
母馬の乳を飲むこそ、優しけれ
斯かる所に 
あら不思議や 
時節や到来したりけん 
親子二つの馬 
かっぱと地に臥し 
一度にむなしく成りにけり
馬子は呆れていたりけり
法印は少しも驚き給はず 
両馬に向かひ 
尊勝陀羅尼を読誦有って

 「如是、畜生地獄、到来生死(しょうじ)到来生死」
と、高らかに唱へ給へば 
不思議や陀羅尼の功徳によって 
両馬の死骸二つに割れ 
母馬中よりは弘知の父、秋弘
仔馬の中よりは 
死して久しき秋弘の北の方、弘知の母上
夫婦共に現はれ給ひ
「珍しや弘友
汝、ただ今、弘知法印と成りて 
我々を助くる事 
是皆、前生(さきしょう)の因縁也
又、是なる千代若も 
父が、弟子と成りて 
弘嗣と名付くる事も 
過去よりの約束也
又、御身が妻の柳の前が死せしも 
胎内に七月(ななつき)半にて別れし子も 
仏の方便は無量なれば 
追っ付け不思議有るべき也
さて我々は 
不慮の悪縁に引かれて 
忽ち畜生道に堕ちける所に 
御身を子に持ちたる故 
ただ今、父母共に 
兜率(とそつ)天に生(う)まる也
御身は誠は観音大師にてましますが 
衆生済度のための 
出生(しゅっしゃう)成(なる)を知らずして 
我が子と思ひ誤り候ひし
御身は永く即身仏と成りて 
末代の衆生に拝まれ給ふべし
有難し有難し」
と、の給ふ声の下よりも 
忽ち天人と成って 
虚空に上り給ひける
弘知、親子はさて置き 
近辺の人々迄 
前代未聞、ためし少なき次第とて 
拝まぬ者こそ無かりけり。

六段目

 

其後 
その時弘嗣は、法印に近付き
「ただ今迄は、師匠とばかり存ぜしに 
さては父上様にてましますか」
と、悦び給ふは限りなし
弘知法印は聞こし召し
「疾(と)くにも、名乗り悦ばせん
とは思へ共 
いとど、離れ難き恩愛の愛執なれば 
却って、菩提の障りと思ひ 
今迄、斯くとは名乗らざりし
此の上は、いよいよ修行を怠るな
修行だに熟すれば 
何事も心に叶はぬ事は無きぞ」
と、示し給へば 
馬子は、傍にて是を聞き
「扨も有り難き御事かな
又、あの馬は 
某が、久しく持ちたる馬にもあらず
此の程、何処(いづく)共なく
親子馬来たり候ゆへ 
あたりの者に尋ぬれ共 
主(ぬし)が無ければ 
馬主の出る迄と存じ 
世の常の馬と存候也
かかる事を見ながら 
如何でか、発起せざるべき
某も髪を剃り 
弘嗣様に付き奉り 
ご奉公、仕らん」
と、申し上ぐれば 
弘知聞こし召し
「左様に思ひ給はば兎も角も」
とて、やがて髪を剃り 
弘りん坊と付け給ひ 
傍らに立ち寄り 
しばらく休息し給ひけり

是はさて置き 
いつぞや柏崎にて手負いたる 
弥彦の荒王信竹は 
足の傷、平癒しければ 
君の行方(いくへ)を尋ねんとて 
ここかしこする所に 
弘知法印の御事を聞くより 
急ぎ御目にかからんとて 
立ち出る所に 
道のほとりにて 
三十路(みそじ)ばかりの女性(にょしょう) 
七つばかりの男子(なんし)の手を引き 
荒王に出合い
「御身は弘知法印へ、御越し有る人と見受けたり
則ち此の幼児(おさあい)は 
法印の御子にて候也 
仔細はあれにて申すべし
自ら共に連れ行きて給はれ」
と、云ひければ 
信竹聞きて
「扨)は、千代若君にてましますか」
女性、聞きて
「いや、千代若の弟子(ご)也」
と、申せば
「げに其の時分、柳の前、
御懐胎なれば、さもあらん
扨、母上は」
と、問へば 
「むなしく成らせ給ふ」
と、云ふ
はっと、驚き
「さあらば御供申さん」
とて、打ち連れ法印の御前に参りける

弘知御覧じ
「珍しや荒王、さて其の若は何者ぞ」
その時、女性
「何者とは御失念(しつねん)
是こそ、千代若の弟 
法印の御子也」
弘知聞こし召し
「尤も、弟有りつれ共、
その節、狼(おほかみ)にとられたり 
犬に喰われて死したる子が 
何しに永らへ有るべき」
女性聞きて
「さすがの法印様
へん成る事をの給ふ
獅子、熊に育(はごく)まれて 
命、生きたる其のためし 
内外の書伝に見へざるや
証拠は是に候」
とて、かの鏡半分取り出させば 
法印驚き 
千代若に添へし半分を取り出し 
合はせ給へば 
疑いも無き兄弟也
其の時女性(にょせう)
「我をば誰と思すらん
氏神、弥彦権現
其の時の大かめも我也」
とて、消すが如くに失せ給ふ
人々、有難し有難しと 
虚空を礼(らい)し給ひける
其の時、弘知法印は
「扨、我が子に紛れなし
兄、千代若は出家なれば 
汝は、大沼の家を継ぐべし」
とて、千代松丸と、付け給ひ
「此の事、都へ聞こへば 
定めてみかどより所領を給はるべし
さあらば、荒王は、家の臣下たるべし
今年は、彼らが母、 
柳の前が七年忌にあたり 
則ち、今月今日也
かの塚へ参詣して、回向せん」
と、の給ひて 
人々を打ち連れ 
塚の前に立ち寄り 
御経高らかに読誦有りて
「如何に霊魂
兄弟の若共 
兄は出家、弟は先祖よりの家を継ぐべし
その上、此の弘知も追っ付け往生遂げ 
ともに、一仏乗の台(うてな)に坐せん 
悦び、此の時に如(し)くべからず」
と、の給ふ声の下よりも 
有難や虚空に音楽聞こへ 
花降り下り 
二十五の菩薩、来迎あれば 
御墓、二つにさっと割れ 
柳の前は現はれ給ひ
「有難や我が夫(つま)
御身、仏法成就ましまして 
我を弔い給ふ功力(くりき)にて 
只今、安養世界へ引導せられ候也
珍しや兄弟の若共
母が成仏するを拝めや」
とて、忽ち仏体を現じ 
紫雲に、打ち乗り 
虚空に上らせ給ひしは 
有難かりける次第也
斯かる所に、仏法僧の鳥 
虚空を鳴いてぞ通りける
弘知、御覧じ
「如何に汝ら
此の鳥は、高野山に有る鳥也
只今、此の鳥の告げ来る事 
我、高野山に上りて 
往生遂げんと思ひしが 
高野山は、面々(めんめん) 
我(われ)、吾(あ)が胸の内 
知れば浄土、知らねば穢土
何ぞ所によるべし
只今、是にて往生すべし
愚僧が、誓いの大願は 
此の身を、其のまま娑婆にとめ置き 
永く、即身仏の証拠に 
末世、衆生に見せしめんと思えば 
千万年過ぐる共、
朽ちもせず腐りもせず 
本より鳥類畜類の妨げも 
有るべからず
自然(じねん)石(せき)の如く成るべし
千代松、所領の主とならば 
御堂を建て 
弘知が、有体(ありてい)を移し 
衆生に拝ませ、
兄、弘嗣は住持たるべし」
と、委細に仰せ置かれ 
人々には、念仏申させ 
御身は膝を組み
数珠を持ち 
座禅の態(てい)にて 
眠るが如くに、往生有るこそ有り難けれ
所の者は、申すに及ばず 
生き如来にてましますとて 
貴賎群集は夥(おびただ)し
斯かる所に、
古(いにしえ)の柳の前を切ったる馬子 
此の比(ころ)は、仕合(しあはせ)良く 
出雲崎に有りけるが 
此の由を、聞き
「何、悪所狂いに 
親の勘当得たる大悪人が 
そもや仏に、成るべきか
狐、たぬきの業(わざ)成るべし
生き仏ならば受けてみよ」
と、云ふままに 
矛を以って、左の脇をちょうど突けば 
忽ち眼(まなこ)眩み 
矛を捨て、立ち竦みになる所に 
神光雷電(じんこうらいでん)夥(おびただ)しく 
悪鬼、来て掻い掴み 
火の車に、打ち乗せ 
無間(むけん)指して引きけるは 
恐ろしかりける次第也
斯かる所へ 
都より、二条の中将
勅使として、御下向有りて
「弘嗣をば、権大僧都(ごんだいそうづ)になされ 
千代松を、父が俗名、
大沼権之介弘ちかになされ 
越後の主(しゆ)になされ 
急ぎ御堂を立て 
父弘知が色体(しきだい)を移せよ」
との、宣旨を被(こうぶ)り 
有難し、有難しと 
勅使を帰し 
急ぎ御堂を立て 
父の尊体を移し 
弘嗣、住持と也
弘ちかは、昔の跡に館を立て 
末、繁盛に栄へ給ふ
光孝天皇仁和七年九月三日 
弘知法印、往生有って 
貞享二年迄八百五年 
今に、越後の国、柏崎の近所に 
御影(みえい)恙(つつが)無(な)し
前代未聞、
有り難し共なかなか、申すばかりはなかりけり

うろこがたや新板

光孝天皇(こうこうてんのう、天長7年(830年) - 仁和3年8月26日(887年9月17日)は、第58代天皇(在位:元慶8年2月23日(884年3月23日) - 仁和3年8月26日(887年9月17日))。諱は時康(ときやす)。

おおかめ【狼】
「おおかみ」の転。中世以降の語。 〔日葡〕



旬は十年の意。六十歳

九泉

〔九重にかさなった地の底の意〕死後に行くという世界。黄泉(こうせん)。あの世。

 

ここでは、修行者

 

 

 

いうばかりなし【言ふ許り無し】

《古くは「いうはかりなし」 》言葉で言い尽くせない。言いようがない

石川県河北郡津幡町倶利伽羅と富山県小矢部市石坂との境に位置する。この倶利伽羅峠を境にして、東側に砺波平野が、西側に金沢平野が広がっている。

しく【四句】
 偈(げ)。多く八言四句なのでいう。
げ【偈】
経文で,仏徳をたたえ,または教理を説く詩。多く四句からなる。

ひぎょう【非形】
姿・形が普通でないもの。異形

 

 

 

 

高野山真言宗 別格本山 倶利迦羅山不動寺(通称は、倶利迦羅不動寺)
石川県河北郡津幡町倶利伽羅リ-2

 身寄りもなく寂しいさま。また、その人のこと。▽「鰥」は老いて妻のない夫。「寡」は老いて夫のない妻。「孤」はみなしご、「独」は子のない老人のこと。いずれも身寄りのない寂しい者の意。

はっそうじょうどう【八相成道】釈迦が一生涯に経た八つの重要な段階。降兜率(ごうとそつ)・托胎(たくたい)(入胎)・出胎・出家・降魔(ごうま)・成道・転法輪・入滅の八つの相
⇒ 釈迦(しやか)八相

鷹は飢えても穂を摘まず

( たかはうえてもほをつまず)  
鷹は飢えても穂を摘まずとは、高潔な人は、どんなに困窮しても不正をして生きのびようとはしないことのたとえ


鳩(はと)に三枝(さんし)の礼有り

子鳩は育ててくれた親鳩に敬意を表して、親鳥より3本下の枝に留まる。礼儀を重んずるべきであるということのたとえ。親孝行すべきことのたとえ

その年生れた子馬


ナウボバギャバテイ・タレイロキャ・ハラチビシシュダヤ・ボウダヤ・バギャバテイ。タニャタ・オン・ビシュダヤ・ビシュダヤ・サマサマサンマンタ・ババシャソハランダギャチギャガナウ・ソハバンバ・ビシュデイ。アビシンシャトマン・ソギャタバラバシャナウ・アミリタ・ビセイケイマカマンダラハダイ・アカラアカラ。アユサンダラニ・シュダヤシュダヤ・ギャギャナウビシュデイ・ウシュニシャビジャヤ・ビシュデイ・サカサラアラシメイ・サンソジテイ・サラバタターギャタ・バロキャニ・サタハラミタハリホラニ・サラバタターギャタ・キリダヤ・ジシュタナウ・ジシュチタ・マカボダレイ・バザラキャヤ・ソウカ・タナウ・ビシュデイ・サラババラダ・バヤドラギャチ・ハリビシュデイ。バラチニバラタヤ・アヨクシュデイ・サンマヤ・ジシュチテイ・マニマニマカマニ。タタータボタクチ・ハリシュデイ・ビソホタ・ボウジシュデイ・シャヤシャ・ビジャヤビジャヤ・サンマラサンマラ。サラバボダ・ジシュチタシュデイ・バジリバザラギャラベイ・バザランババトママ・シャリラン・サラバサトババンナン・シャ・キャラハリビシュデイ。サラバギャチハリシュデイ・サラバタターギャタシッシャメイ・サマジンバサエンド・サラバタターギャタ・サマジンバサ・ジシュチテイ・ボウジヤ・ボウジヤ・ビボウヂヤ・ビボウジヤ・ビボウジヤ・ボウダヤ・ボウダヤ・ビボウダヤ・ビボウダヤ・サンマンダ・ハリシュデイ・サラバタターギャタ・キリダヤ・ジシュタナウ・ジシュチタ・マカボダレイ。ソワカ。

コノハズクの異名。ブッポウソウと鳴くので、「声のブッポウソウ」という。

だいそうず【大僧都】
僧綱の一。僧都の上位。698年,道昭が初めて任ぜられた

仁和は五年(889年)まで。仮に仁和7年は、891年(寛平3年)を指す事になるが、

貞享二年(1685年)より805年前は、

計算上は、880年(元慶4年)となり、10年ほどの齟齬がある。