目蓮記
もくれんそんしゃ
天満八太夫
貞享4年(1687年)
うろこがた屋開板

 

初段
それ、春の花に樹頭(じゅとう)に栄うるは
上求菩提のき(機)をすす(勧)め
秋の月の水底に沈むは
下化衆生の相を顕す
天を無くしては
ふつ(仏)と、みな(皆)これを示す
人、心有りては、あに勤めざらんや
もし、人として、人間の八苦を悟り
済度をいとう(厭う?)時は
煩悩、則ち、菩提となり
天上の五衰を聞いて
浄土を求むる時は
生死(しょうじ)、則ち、涅槃となる
かるが故に、諸仏
菩薩、しゆつきやく(?)の外道を脱(だ)るる

さてここに、
神通第一の目連尊者の由来を
詳しく尋ぬるに
そのかみ(?上)、天竺、カモラ国(不明)の主(あるじ)をば
クル大王と申し奉る
御家宝、由々しくおわしける
しかるに大王、
王子、二人持ち給う
一は、ほうまん(宝満)の宮とて
先の御台の御子にて
当年十二歳にならせ給う
次は、がくまん(学満)の宮とて
今の御台、せうだい(青提)夫人(ぶにん)の御腹なり
御年九つになり給う
後に、目連尊者と申し奉るはこれなり
御兄弟共に
御年頃より、大人しく
何はにつけて暗からず
学び、残させ給わねば
父、大王の御喜び
これに、過ぎたる事もなく
明かし暮らさせ給いける

去るにても世の習いとて
いたわしやな宝満殿をば
御継母の深く憎ませ給い
辛く渡らせ給いしかば
夜と無く昼と無く
御心の安くましますこともなく
明けても暮れても
過ぎ遅れさせ給いける
乳房の御母上の御事を
思し召し出されつつ
涙に暮れて御座あるが
ある日の事なるに
乳母(めのと)の荒道丸を近づけ
「物を語らば承れ
それ、憂きは、世に住む習いにて
辛しとは思わねども
自らほど、果報つたなき者あらじ
二歳の時、乳房の母に過ぎ遅れ
今添う、継母の御心
邪険無道にましませば
片紙も心のままならず
年を重ね日々を送り
物憂き事のいや(弥)増しに
身の佇む(たたずむ)べき様もなし
これと申すのも
弟の学満がある故なり
いかにもして、学満を
害してたべ」と
ありければ
荒道丸、承り
「仰せ、もっとも至極せり
去りながら、討てとのたもうは
相恩の主君(しゅぐん)、
討たれさせ給わんも主君(しゅぐん)
何れにおろかも(疎かも)ましまさねば
この御事においては
御許され候え」とぞ申しける
宝満殿聞こし召し
「汝が申す所も、理(ことわり)とは言いながら
人、数多(あまた)有る中に、
汝が、自らが母のために
譜代相伝の者なれば
例え、我、か様にあらずとも
汝こそ、かく思い立つべき身が
あまつさえ、頼む言うに
同心無きば、世に従えば力なし
所詮、生きて何かせん」と
既に自害と見えしかば
荒道丸、跳んで掛かり
御手を押さえ、申す様
「やあ、しばらく、
君、是非、左様に思し召し立ち給わらば
誰(たれ)有りてか、いたすべき
実(げ)には、それがしも
内々、左様に存じつれども
世のため君のため
如何と思い候よ
この上は、仰せに従い
一命を上げ奉らん」と
申し上げる
宝満殿、笑みを含み給い
「良く申したる乳母かな
しからば、時節、移して悪しかりなん
幸い、今日は、折柄(おりから)もよし
学満を暮れ頃に
南表の花園に出だすべし
その用意仕れ」
畏まって候とて
荒道丸は、我が家に帰り
奥の出居に取り籠もり
馴染みし女房近づけて
「只今帰る事、
別の子細ならず
我が君、宝満様の御諚には、
かようかようの子細なり」と
懇ろに(ねんごろに)語れば
「それは、由々しき御諚なり
去りながら、君の御諚、有る上は
否(いな)と申せば命(いのち)を惜しむに似たり
君、故、死なん命は、
露ほども惜しからず
討ちての後は、包むとすると
大王へ洩れ聞こえ
寄せ手の勢が来るべし
俄に(にわかに)慌てて、叶うまじ
心静かにある時に
最後の名残を惜しむべし
わらわ、十四の夏よりも
片紙も見えさせ給わねば
朝顔の露に隔つる心地にて
幾年月を送りしに
この春ばかりを一期とし
君故死なん事
これ皆、孝行たり
ひとつには、名を万天に上ぐること
元より、君の御諚なれば
仏神の咎め、などかはお許しましまさずや」と
涙に咽び(むせび)申しければ
さすがに猛き荒道丸も
今が、別れの事なれば
涙の雨は晴れもせで
別れかねたる有様は
哀れと言うも余りあり
されども、思い切る故は
心弱くて、叶わじと
互いに別れ、
行きては帰り、帰りては行き
是非も更に弁えず
女房、この由見るよりも
「さのみに、嘆かせ給うなよ
きみの仰せに従いて
事をし済まし
夕去り、夜半に帰らせ給うべし」と
心強くも引き別れ
それよりも、御殿に伺候して
その日の暮るるを待ちにけり
物によくよく例うれば
これや楚国のらんし公(?不明)が
親の敵を討たんとて
しくわ(?不明)の林に隠れたる有様も
かくやと思い知られたり
去るほどに宝満殿
御殿に入らせ給い
涙に暮れてましますが
つくづく物を案ずるに
「いかに、討たんと言うとても
現在の弟を、我が仰せにて討たせなば
自らが身の上はさて置かぬ
譜代相伝の乳母まで誅(ちゅう)されん
とかく、自ら、死なんものを思し召し
硯に向かい
香炉木(こうろぎ)の墨、すり流し
筆を染め、
思し召す御事を
父大王へ書き置かせ給いつつ
御懐(ふところ)に入れ給い
さてそれよりも
学満殿の常に御座ある
寝屋に忍び入らせ給い
脱ぎ置かせ給いたる
学満殿の御小袖を盗み出し
御身にふわっと召されつつ
ようようその日も暮れ方になりぬれば
花園差してぞ出でらるる
去るほどに、荒道丸は、
宝満殿の、かく思い立ち給うとは知らずして
時も来たれば、花園に
人目を忍びて参りける
案の如く、見れば若君
今を最期と思し召せば
打ち萎れたる有様にて
物哀れげに立たせ給う
後ろ姿をきっと見て
すわ、学満殿と思い
とても、許し申さばこそ
御最期を知らせ奉らんと思いしが
いやいや幼き人に嘆かれ
不覚を取っては如何と存じ
するすると走り掛かって
御首、水も溜まらず打ち落とし
この旨、宝満殿に知らせ申さんと思いしが
とこうする間に
時節も移り、悪しかりなんと存じ
密かにこそは忍び出で
我が家を差してぞ帰りける
 女房に近づき、
始め終わりを語りければ
女房、聞いて打ち驚き
「いかに、我が夫、
定めて、討って参るべし
心許して、不覚を取らせ給うな
ご用意あれ」と申しける
荒道丸、心得て、
「よく、言うたる女房かな
去りながら、憎かりし御台に従う奴原が
幾万騎(ぎ)にて寄せたりとも
それがしが腕の続かん内は
一人も余すまじ
もし、太刀の刃(やいば)も続かずば
いちいちに首ねじ切って
人塚を築かん(つかん)ものを」と
息をいなし、寄せ来る討っ手を
今や遅しと待ち受けたる
荒道丸が有様
あっぱれ鬼神にも勝れりとて
感ぜぬ者こそなかりけり

二段目
去るほどに大王は
宝満殿の有様を、
夢にも知らせ給わずして
夫人を近づけのたもうは
「時しも今は末の秋
しかも今宵は空晴れて
月の光、隈(くま)も無し
南表に立ち出でて
月に詠じて慰まん
兄弟の若共を
連れて御出でましませ」と
ありければ
御台所、聞こし召し
「物寂しき折からもっともしかるべし」とて
各々、誘引(ゆういん)ましまして
御出でとぞ聞こえける
大王、出でさせ給いければ
御台殿も、学満殿を伴いて御出である
大王はご覧じて
御心に思し召さるるは
『無惨や、宝満は、
常に母が憎みければ
かかる一座へ交わらんも
誘う(いざのう)者のあらざれば
さぞや無念に思うらん』と
一入(ひとしお)、今宵は、御愛しく思し召し
御前なる女房達を近づけて
「何とて、宝満は遅きぞや
早々連れて参れ」
と仰せける
承りて候とて
ここや、かしこと尋ねれども
見えさせ給わぬ由、申し上げれば
大王、大きに御気色変わらせ給い
「何、見えぬとは心得ず」と
御腹立てのたまえば
早、その興(きょう)も打ち醒めて
思い思いに尋ねける
やや有りて、大王
南表の広縁に出で給い
花園を見渡し給えば
月の光に輝きて
何かは知らず、物の形の見えけるは、
あれ、見て参れとの御諚なり
畏まって候とて若侍
走り行って見てあれば
若君にておわします。
立ち帰りて、この御容態(ようだい)を申し上ぐる
大王、大きに驚き給い
早々、ぐ(倶)して参れとある
若侍、四五人参り
若君の御死骸を
やがて御前にかき出す
大王、ご覧じ
御そば近く立ち寄らせ給い
「こはそもいかなる者の仕業かや」と
御評定、まちまちたりしに
御懐より、御文を取り出だし
読みてご覧あるに
「何々、それがし、思い立つこと
恐れ多きことなれども
父上様に御恨み限りなう候
この上は、学満を
よくよく養育ましまして
我なき後をも、問わせてたべ
我は、冥途へおわします母上に巡り会い
この有様を語るべし
あら、名残惜しや」と書き置かせ給うにぞ
上下涙は堰あえず
大王、肝、魂もましまさず
そのまま、御死骸に抱き付き
しばし、消え入り給いける
落つる涙の暇よりも
口説き給うこそ哀れなれ
「未だ、年にも足らずして
かく思い立ちしこと
只、おろそか(疎か)の事ならじ
 明け暮れ、父を恨むらん
まず、彼が乳房の母
草の陰にて
さぞや、我を恨めしうや思うらん」と
御落涙は限りなし
御前なりし人々は、この由見奉り
御道理とは言いながら
とても帰らぬ事なれば
御死骸を取り置きて
御弔い(とぶらい)あるべしとて
大王を押し隔て
野辺に送らせ給いける
哀れと言うも愚かなり

既に、その夜も明ければ
大王を慰め奉らんとて
各々、御前に詰めらるる
さて、過ぎし宵の評定は、取り取りなり
大王、仰せ出でされしは
「宝満が、かかる仕合(しあい)ありけるを
乳母の荒道丸が、出で、会わざるの不審さよ
早、参れ」との
御諚なり
畏まって候とて
荒道丸が元に使い立つ
荒道丸、元より思い設けたる事なれば
ご返事に申す様
「我、学満殿を害し奉りしこと、
かねて、工み(たくみ)たる事にて候えば
子細を申すに及ぶまじ
とても、御許されもありまじければ
これにて、自害申すべし
御検死を給わるべしと申されよ」とて入りにける
御使い、立ち帰り
この由を申し上ぐる
大王、驚かせ給い
「さては、荒道丸が、学満を討たんとて
宝満を討ってあるよな
とこうの沙汰に及ぶまじ
きゃつを絡めてまいれ
是非の様を尋ねん
もし、それにも楯突く(たてづく)ものならば
是非討って捨てよ」とある
畏まって候とて、我も我もと出で立ち
荒道丸が館を、二重、三重におっとり回し
鬨の声をぞ上げにける
荒道丸も、待ち受けたる事なれば
門外につっと出で
「何、我を打ち取らんとや
中々、易々とは、討たれまじ
我と思わん者あらば
押し並べて、組んで取れ
いかに、いかに」と、罵ったり(ののじったり)
寄せ手の中より、
しゆわう丸(朱王丸)と言っし者、進み出で申す様
「如何に、荒道丸、
譜代相恩の主君(しゅぐん)を討ち奉り
あまっさえ、(剰へ)故も無き朋輩に迄、
盾突くこと、悪逆不道(ぶどう)の侍かな
例えば、汝、鬼にもせよ、神にもあれ
掌(たなごころ)を返さぬ間に押し入りて
踏み潰さん」
と、呼ばわったり
荒道丸、この由を聞くよりも
「何、譜代相恩の主君とや
学満殿は、我が当座の主君(しゅぐん)
相伝にはあらず」と言えば
朱王丸、からからと笑い
「さては、汝、違い(たがい)して討ちたるか
御分(ごぶん)が討ったるは、宝満殿よ
それはともあれ、かくもあれ
只今、勝負を決せん」とて
寄せ手の者ども
一度にむらむらばっと、押し寄せたり
荒道、心得たりと言うままに
門外に切って出る
女房、これを見て
「二世のまで、契らん夫婦の仲
例え、土に骨は埋ずむ(うずむ)ども
一所にこそあるべけれ
待たせ給え」と
言うままに、
一間所へつっと入り
白綾たたんで鉢巻きし
びせいかう(美精 好)の大口、着(き)
しらえ(白柄)の長刀、掻い込うで
 夫婦諸共切って出で
ここを最期と戦いける
多勢に無勢
叶うまじとや思いけん
ためらう気色もなかりけり
荒道丸が手に掛け六十三人切りたりける
さて、女房が長刀にて
十七人ぞ、薙(な)いたりけり
残りし者をば
痛手薄手を仰ぎつつ
風に紅葉の散る如く
四方(よも)へむらむら、ぱっとおっ散らし
館に内に引き入り
夫婦、一所(いつところ)に腰を掛け
暫く、息をぞついたりける
やや有りて、荒道丸
女房に向いて
「とても、逃れん様もなし
その上、夕べ、討ち奉りしは
学満殿と思いしに
宝満殿にてまします由
げに左様の事もあらん
いよいよ、生きて詮もなし
定めて、宝満殿
待ち遠う(まちどう)にや思すらん
追っかけ、御供仕り
冥途黄泉までも君臣と仰ぎ
良きに宮付き奉らん」と
腹十文字に掻き破り
いかに、いかにとありければ
女房、つるつると走り掛かって
首、水も溜まらず打ち落とし
かしこにかっぱと倒れ伏し
声も惜しまず泣き居たり
とかく、叶わぬことなれば
女房も自ら、太刀を咥え(くわえ)つつ
逆さまになりて死したりける
かの夫婦のの者の最期の態(てい)
あっぱれ頼もしきとも中々
申すばかりはなかりけり

三段目
去るほどに
物の哀れを留めしは
学満殿ににて留めたり
乳母(めのと)の善男子召され
「如何に、語らば承れ
それ自らが母と申しながら
御心、邪険に渡らせ給う故
兄、宝満殿
故無く、失せさせ給う
それのみならず
譜代相伝の力士ども
その外に数多、失えり
つくづく、物を案ずるに
今よりして、父母(ぶも)の
御仲、よろしかるべきとも思われず
さあらんにおいては、自らも
なんぼう浅ましき
憂き目を見んも口惜しかるべき
例え、父母の御不興蒙り
未来、罪に沈むとも
遁世修業に立ち出で
いかなる僧をも頼み
御経の一巻も読み覚え
兄の教養にし奉らん
また、汝をも、召し連れたく思えども
忍びて出でる旅なれば
わざと後に残し置く
構えて、構えて父母の嘆かせ給うとも
良きに慰め奉れ
やがて、帰り、対面せん」
と、ありければ
善男子、承り
「仰せは、さにては候えども
左様に思し召し立ち給うこと
一重に御代の乱れと覚えたり
兄上の御ことを思し召しめされ候も
御(おん)もっとも至極とは存ずれども
父母の御嘆きには
いかで思し召し変えさせ給うべき
例え父上、何ほど嘆かせ給うとも
君、大人しくましまして
御心をも慰め給わんこと
これ、孝行と言い
天道にも叶い給う所なり
従って、御出家遂げ給い
幾千満部、御経読誦ましますども
第一、父母の御不興蒙らせ(こうぶらせ)給いなば
諸仏も更に、受けさせ給うまじ
平に留まりましませ」と
掻き口説いてぞ申しける

学満殿、聞こし召し
「汝が申す所、ひとつともって、
曲事(くせごと)なし
去りながら、この世の栄華は
僅か、草場の一滴の露に同じ
汝らに至るまで
朝夕、さぞ思うらん
母上の御心、慳貪(けんどん)にましませば
必ず来世は、浮かみ給うべしとも思われず
今、かかる儚き世に生まれ
栄華に誇らんより
長き未来を願い
重き父母の罪業を助け奉らんと思い立てば
これ、孝行と覚えたり
それを、留むるものならば
いかなる淵瀬(ふちせ)にも身を沈め
長く汝を恨むべし」
とのたまえば
乳母、聞いて
「この上はとこう申し上ぐるに及ぶまじ
ともかくも、御心に任せ候べし」
と申しければ
学満殿は喜び給いて
花の御姿を振り捨てて
旅の装束なされける

これはさておき、善男子
共に、何地(いずち)へも修業に出でんと思いしが
所詮、かかる浮き世に長らえて詮なしと
腹十文字に掻き破り
明日の露とぞ消えにける

さて、学満殿
世を捨て人に身をやつし
たとり、たとり(辿り、辿り)と
歩み習わぬ野辺を
足に任せて行き給う
ここにひとつの谷川あり
峰より落つる水、険しくて
左右無く(そうなく)渡り給わん様もなし
峰に上がりて、回らんと見給えば
せきさん(石山)峨々として
鳥ならでは及ばれず
如何せんと、案じ煩い(わずらい)見給えば
ここに、谷越しの大木あり
この枝を伝いつつ
向かえに越えんと思し召し
木伝え(こづたえ)してこそ越し給う
哀れと言うも余りある
この君、月見花見、
あるいは、山河の絶勝
かうぎやう(興行)と言うならば
馬よ、輿よと、ひらめき(?)
ぐぶ(供奉)の輩(やから)
 その数、数多(あまた)あるべきに
御身に付き添う者とては
月日の光ばかり
されども、御出家遂げさせ給わんと
思う心を頼りとして
頃しも秋の暮れつ方
憂きに辛さや増す鏡
さぞな、姿も映るらん
行かんとすれば古里も
名残は思い(重い)捨てもせで
そこかここかと、眺むれば
霧立ちうずみ(埋み)跡も無し
ようよう、行けば世の中に
降るは定めなかりけり
ひと村雨の雨宿り
賎が仮庵(かりお)に立ちよれば
よのかす(世の数)に洩る、憂き身とて
袂、文無く(あやなく)絞るらん
 木々に色ある四方(よも)の峰
錦を曝す(さらす)山姫の
折り、笑顔なる梢こそ
花よりも、げに面白や
そよと吹くだに憂き物を
はんば(班馬)と落つる木枯らしに
紅葉散りゆく谷川の
せめて、掛けたるしがらみは
流れもやらぬ眺めかな
いとど哀れを哀れと催すは
谷の牡鹿(おじか)の妻、交う(かう)声の微か(かすか)にて
おのが在処(ありか)や知らすらん
遙かに下り辿るにぞ
露にも裾は打ち萎れ
袖は涙にそぼ散りぬ
上がる岩間の葛鬘(くずかづら)
蔦(つた)の細道分け行けば
どうどうと、鳴るは滝の水
岩に砕けて飛び散るは
忘れては又、はなとみし(?)
笠に、滴(しずく)を厭いては
廬山のあま(海士)よ、せうせう(瀟湘)の
舟の苫屋(とまや)の心地して
行くはその日も暮れ方の
牡丹の色は薄くなり
松ヶ根枕、岩の床
旅寝は、誰も打ち解けて
結ばぬ夢は醒め易き
枕に近き虫の声
弱り行く音(ね)の哀れさを
振り捨て難き鈴虫の
泣き明かしたる東雲の
山はよこくも(横雲)引き渡り
一人残れる有明の
つれなく(情無い)見えて立ち別る
月と共にや急ぐらん
秋の紅葉、皆、衰えて
移れば変わる浮き世の習い
麓の野辺の恨み葛の葉
吹き返す、仲秋風(なかあきかぜ)に
末は果てしもなからん
旅の習いは山を越え
打ち渡るとせし程に
積もる日数の重なりて
忘るるままに、遙々と
聞きしに遠き、鷲(わし)の御山に着き給う
学満殿の心の内
不憫とも中々、申すばかりはなかりけり

4段目
去る間、学満殿
鷲の御山に付き給い
ここやかしこと佇み(たたずみ)給うが
折節、釈尊は、数多の弟子達を集めさせ給い
説法遊ばしおわします。
哀れなるかな学満殿
御弟子の傍らに忍ばせ給いける
釈尊、既に、御説法、事終わっての後
物の暇より、我が君をご覧じて
「哀れなる少人は、
かねて、見慣れぬ者なり
いか様、故あるかと見えてあり
近う(ちこう)参れよ」とありければ
学満殿、有り難く思し召し
頭(こうべ)を地につけのたまわく
「それがしは、近国の者にて候が
世を逃れんと思い立ち
これまで、参りて候なり
哀れ、釈尊を頼み奉り
姿をも変え
御経の一字をも読み覚え
父母の教養に仕りたく候」と申し上ぐれば
げに、只人とも思われず
こなたへとのたまいて
やがて、師弟の契約なされつつ
かくてここにぞ、おわしける

これはさておき
古里におわします父大王は、
かかる事とは、露程も知ろし召されずして
明け暮れ、嘆かせ給いける
花の様なる二人の若
一人は、死して別れ
又一人は、何処(いづく)ともなく失せしかば
何につけても楽しみ無し
かかる物憂き住まいして
月日を送るも良し無しと
住み慣れ給いし内裏をば
夜半(よわ)に紛れて忍び出で
何処(いずく)とも無く迷い出でさせ給いける
さてまた、御台所も
愛(いと)おしかりし、夫(つま)や子に
生きて別れ、
世に長らえても詮なしと
思し召したりけれども
いやいや、数多の財宝を
他人に奪い取られんも腹立ちや
如何せんと、後や先と
迷い給いし、夕暮れに
何処(いずく)ともなく、尼公(にこう)来て申し候
「如何に、御台様
今生の楽しみは、
電光、朝露(ちょうろ)、
石の火の光と同じ、儚さよ
今、仏性、頂戴の身に生まれ
この度、浮かまずんば
いつの時か、世を逃れん
仏の戒め(いましめ)給う五戒を保ち
長き来世を願い給うべし
その上、夫や子供の遁世させ給いしも
これ皆、御台のお心浅ましき故ぞかし」と
細やかに教化すれば
御台この由、聞こし召し
「汝、愚かなる言い事かな
後世を願うというは
今生にて心のままに叶わざる故なり
我は、現在より仏なり
長き来世とやらんは
見たる者もあらざれば
この世の栄華そ仏なり」と
うち笑ってそおわします
尼公、聞いて申す様
「傲慢の頂き(いただき)には
智慧、ほっすい(法水)留まらず
我癡我見(がちがけん)とて、諸仏もこれを嫌い給う
我をば誰かと思うらん
汝が様なる悪人を呵責(かしゃく)する
 羅刹、憤怒のかしゃ(火車)なり
いでいで、汝、知らぬと言うなら
長き、来世の苦患(くげん)を見せん」と
御台所をひっつかんで
虚空に行くと見えしかば
八万地獄に落としける
怖ろしかりける次第かな

それはさておき
霊鷲山におわします学満殿
忝(かたじけ)なくも釈尊の
御(み)弟子とならせ給いつつ
御(ご)出家、遂げさせ給い
則ち、御(おん)名をば羅卜(らぼく※本来は幼名)申し奉り、その後は目連と申すなり
然るに、目連
ある日の徒然に思し召しける様は
古里を出でて、昨日今日とは思えども
年月積もって十三年になり
我、か様に思い立ちしも
父母教養のためならずや
されば、古里の二人の親に
一人も長らえてましまさば
今一度、お目にかかりたく思し召し
釈迦如来の御前に出で給い
申し上げられけるようは
「愚僧は、古里に
親を持って候が
二人に一人、もし、長らえてあるならば
今一度、まみえたく候」
と仰せ上ぐれば
釈尊は聞こし召し
「げに道理なり
早、早、帰り給うべし」
目連、有り難しと御前を立ち給い
数多の御(み)弟子達に
御暇乞いをなされける

さて、故郷へは、錦を着て帰ると言える本文(ほんもん)あり
我は出家のことなれば
墨の衣に竹の杖
手には水晶の数珠つまぐり(爪繰り)
御笠、目深(まぶか)く、うち被り(かぶり)
古里指してぞ帰らるる
急がせ給えば程も無く
カモラ(マガタ)国に付き給う
内裏の辺(ほとり)に立ち寄らせ給い
事の態を見給うに
古(いにしえ)と引き替え
人の住むとも見えずして
門はあれども扉(とびら)無し
築地(ついじ)はあれども、覆(おお)いなし
軒の瓦も落ち果てて
葎(むぐら)は、壁を争い
要害はその古の風情ばかりなり
不思議さよと思し召し
辺りの者に尋ね給えば
年頃は八旬に及ぶべる翁
答えて申す様
昔、この国の主(あるじ)をば
クル大王と申し奉りしは
王子、二人持ち給うが、
かよう、かようの次第にて
大王、遁世ならせ給う
また、御台所をば、火車が掴み候うぞ
その後、この内裏を
継ぐべき人もあらざれば
既に、たいてん(退転)に及び候
今、承れば
弟の学満殿、鷲の御山にましまして
釈迦の御弟子となり給い
今は、目連と申すよし
風の様に聞き伝えて候
かように申すそれがしは
学満殿の乳母
善男子と申す者の親にて候が
子にて候、善男子も
君の御共仕らんと申せしを
是非留めさせ給うによって
御意(ぎょい)を重んじ
後に残りては候え共
時節移さず自害して候
我、老いの身として
死にもやらで、今まで命長らえ
か様に憂き目を見候
また、 御僧のお姿を
つくづくと見奉れば
我が君大王の御面影に
少しも変わらせ給わねば
若、目連にてはにてはおわせぬか」と
御衣(みころも)の袖にすがりつき
古のかれこれを、思い出すにぞ
先立つものは涙なり
目蓮、この由、聞こし召し
我が身の上の事なれば
忍び涙は堰あえず
されども、目蓮
心弱くてはかなわじと
「御疑いは道理なり
去りながら、
我は、左様の方にては候わず
諸国を巡る僧なれば
若(もし)、目蓮とやらんに
めぐり逢う(おう)て候らわば
この有様を語るべし」とありければ
老人、聞きて申す様
「許させえ、御僧様
老眼と申し
又は、この君、御出家とげさせ給う由
承って候えば
御僧だに見奉れば
知るも知らぬもおしなべて
尋ね申す老いの身の
心の内の儚や」と
我と我が身をかこちつつ
前後も知らず泣くばかり
落つるなんだ(涙)をようよう留め
「のういかに、御僧様
もし、かの辺に巡り行かせ給いなば
目連に御対面ましまして
この容態を
語り伝えてたび給え」と
ついたる杖をかしこに捨て
伏しまろびてぞ泣きいたり
目蓮、この由聞こし召し
いよいよ、事のよう(様)を
尋ねばやと思しけるが
いやいや、有りて詮無きに
若も(もしも)それとか夕まぐれ
人知れぬ間に帰らんと思し召し
「いかに老人
幸い、我は、霊鷲山に参るなり
尋ね給う目連に
お目に掛かりて候わば
懇ろに語るべし」と有りければ
翁、聞いて
「一樹の影、一河の流れ
これ皆、他生の縁と言う
必ず語り伝えてたび給え」と申しければ
目連は一入(ひとしお)不憫に思し召し
さらば、さらばと
涙と共に立ち分かれ給いける
それよりも、目連
急がせ給えば、程も無く
鷲の御山に付き給う
とにもかくにも
目連の心の内、哀れとも中々
申すばかりはなかりけれ

五段目
去る間、目連は
古里より帰らせ給い
釈尊にご対面ましましける
目連申し上げ給うは
それがしが父は
カモラ国の主(あるじ)にて候が
愚僧が国を出でし時
後を慕い遁世して
行方知らずなりて候
また、母にて候、者をば
火車が掴み候と
古里の者どもが申し候によって
詮無く、帰りて候
哀れ、釈尊の御慈悲に
母を助けてたび給え」と
涙を流し申さるる
釈迦如来聞こし召し
「不憫なる次第かな
しからば、一百(いっぴゃく)三十六地獄
尋ねて御詫び(おわび)候えとて
則ち、御前に地蔵菩薩を召されける
「いかに地蔵、目連が母、地獄に落ちてあるべきを探し出し、目連に会わせよ」と申すべし
畏まって候とて
目連、地蔵と打ち連れ
獄中を指して急がるる
程もなく、閻魔にも成りぬれば
この由を仰せ付けられたりければ
かしこまって候とて
獄卒どもを召し集め
いちいちに申し付け
探し給うぞ有り難し
残(ざん)無く探し給えどましまさず
ここに又、
南に向いて行き見れば
広き野に出で給う
道行くこづき(牛頭鬼)に尋ね給えば
牛頭鬼答えて申す様
「あれなる中に大きなる血の池地獄候が
これ皆女人の落つる地獄なり
あれにて、尋ね給え」と言う
すは、これぞと思し召し
急がせ給えば程もなく
かの地獄に着き給う
その獄主(ごくしゅ)に、仰せけるは
「この疑獄に、仏の弟子、目蓮の母やあるか」
と、問わせければ
獄主、聞きて
「探して見奉らん
この棒に、御身の名を書かせ給え」とて
ほう棒(?)という
八角の棒を差し出しければ
則ち、目連と、書かせ給う
獄卒、この棒を差し伸べ
血盆池(けつぼんち)じゅうを探しければ
いたわしや母上は、
ほう棒に射し貫かれて
上がらせ給う有様は
何に例えん方もなし
目連、ご覧じ
中々、御目を当て給わん様もなし
はっとばかり、のたまいて
そのままそこに跪き(ひざまづき)
三度、礼拝して
とこうの事も、の給わず
地蔵とうち連れ
鷲の山に帰らるる
無惨やな、母上をば
元の地獄に落としける
目連は、急がせ給えば程もなく
霊鷲山へ着き給う
哀れなるかな目蓮は
釈尊の御前に出で給い
涙に暮れておわします
釈尊はご覧じ
「いかに、目連
母に会い給いたるな」
目連聞こし召し
「尋ねて会い奉り候が
か様、か様の有様にて候
哀れ釈尊のお慈悲に
母の苦しみ助けて給え」と
拝礼してのたまえば
釈尊、聞こし召し
「不憫なる次第かな
さあらば、救い取って得さすべし
去りながら、獄中にて
大施餓鬼の祭り事し給うべし
施餓鬼と言(い)っぱ
有縁無縁(うえんむえん)餓鬼罪人
悪鬼獄主に至るまで
遍く(あまねく)供養をし給うべし
例え施しをしざらんとて
仏、方便にて救い取るとは言いながら
これ皆、母の報恩なれば
末世の衆生に聞かしめんがための結縁なり」
しからん時、五智の如来
血盆池に影向(ようごう)して
容易く(たやすく)助け得さすべしとありければ
目蓮は聞こし召し
喜びの涙(なんだ)眼裏(がんり)に余り
御前を御立ちありて
其くうかつ(?)を調え
また、地蔵を伴いて
獄中差して急がるる
急ぐに程無く
かの地になりぬれば
閻魔に向かいてのたまわく
「如何に、獄主
目連が母、血盆池に堕罪せしを
釈尊の御慈悲に
救い取らせ給わんとの御事なり
去るによって、母のために
獄中の罪人を、悉く供養せんそのために
目連、これへ来たりたり
その上、五智の如来
明けなば、血盆池に影向なされるける間
獄中に触れをなせ」
畏まって候とて
次第次第に触れにける
去るほどに、案の如く
獄中に異香(いきょう)薫じ
虚空に音楽聞こえ
花降り下って
五智の如来
影向あるこそ有り難けれ
東方に薬師如来
南方に宝生如来
西方に阿弥陀如来
中央に大日
忝なくも釈迦牟尼如来
数多の御弟子達を伴い
北方より、獄中に影向あるこそ有り難し
さる間、目連は閻魔を召され仰せけるは
「あれなる、供え物は
獄中に、あらゆる餓鬼罪人に施すなり
罪人共に、少しの暇(いとま)を得さすべし」
とありければ、
承りて候とて
この由、獄中に触れにける
餓鬼罪人ども、しばしの苦患(くげん)を安んじ
かの仏によろぼい出でし有様は
浅ましかりつる風情かな
五智の如来ご覧じて
目連に曰く
一切精霊生極楽国(いっさいしょうりょうしょうごくらっこく)
上品蓮台成正覚(じょうぼんれんだいじょうしょうがく)
菩提行願不退転(ぼだいぎょうがんふたいてん)
と述べ給う
この文(もん)を身に触れ
種々罪人
喜びの涙(なんだ)をぞ流しける
如来、なおも哀れに思し召し
施餓鬼経を説き給い
禊萩(みそはぎ)をもって
あまねく罪人に水を手向け(たむけ)給えば
いよいよこれに力を得て
与え給いし施しを
我も我もと奪い取り
喜ぶ事は限りなし
掛かるが故に
これを施餓鬼と申すなり
この功徳によって目連の母
血盆池より浮かみ上がらせ給いける
中にも釈尊
ナムサマダホドナンハ
(陀羅尼:南無三満哆没駄喃)
と唱え
満々たる血の池に
しゃすい(灑水)を打たせ給えば
忽ち、聖水(せいすい)と変じ
地より蓮華生ずる事
大如車輪の如し
五色に変じ出でたりけり
数多の罪人、打ち乗って浮かみ上がり
仏に向かって
手を合わせぬはなかりけり
有り難しとも中々
申すばかりはなかりけり

六段目
去る間
目連の母青提夫人
浮かみ上がらせ給いしを
五智の如来
良きに弔い(とぶらい)給いしかば
浅ましき姿も忽ちに変わり
菩薩と現じ
蓮華に座しておわします
如来、青提夫人に向かって
「それ、血盆池の苦しみは」と問わせ給う
夫人答えて
「それ、一百三十六地獄に
いずれ愚かはあらねども
この血盆池中に
てっそう(?)てっか(鉄枷)てっちゅう(鉄柱)てっぱく(?鉄索)てっこう(?)
とて、五色の虫の候が
ちしごちしご(?知死期)の呵責に合い
少し、苦患(くげん)を逃れんとすれば
かの虫、二六時中暇も無く
刺し食らう苦しみは
申して例えん様も無し」とぞ申さるる
如来聞こし召し
「さあらば、末世の功徳に
この血盆池地獄を破るべし
まず、罪人を、いちいち救い取らせん」とて
御弟子を近付け
「罪人の数を記せ」とありければ
中にも文殊、承って書き記し
ご覧あるに
芥子(けし)の種八万石と記させたり
五智の如来、
哀れに思し召し
これ、悉く救い取って得させんとて
各々、血盆経を説き給い
薬師如来は、十二を現し
東方(とうぼう)の罪人を救い上げ給う
宝生如来は、十八巻を現し
南方(なんぼう)の罪人を助け給う
阿弥陀如来は、四十八巻を現し
西方の罪人を救わせ給う
中央大日、忝なくも釈迦如来は
五百の大巻を現し
北方の罪人を救い上げ給う
各々、いざ帰らせ給わんとて
浄土、浄土に帰らせ給う
去る間、中にも釈迦一仏は
御後に残らせ給い
血盆池より、浮かみ上がりし
罪人に近づき
「如何に罪人、このままありて、詮も無し
いちいち、天上、見せん」とて
御香を焚かせ給い
文(もん)に曰く
「けうせいいろいせんゐんちんおなんしんしう」
と唱え、
御香を焚き給えば
浮かみ上がりし罪人ども
忝なくもお香の煙に打ち乗って
天上するこそ有り難けれ
その後に、釈尊
青提夫人に向かってのたまわく
「それ、女人は
月に一度の障りあり
それを清むるとて
水に流して水神を穢し
山に捨てては山神(さんじん)を穢し
土に捨てては、堅牢地神(じしん)を穢し
それさへ重き罪なるに
あまつさえ、汝
心邪険傲慢にして
仏とも法とも祈らず
朝夕の罪科は
いかほどとか思うらん
去るによって、掛かる苦しみをば受くるなり
されども御身
目蓮と言いし出家を、子に持ちたるによって
仏果を遂げて有るぞとよ
今よりしては
一仏成道即身成仏」
と、授け給えば
今まで、妄執(もうしゅう)の雲に隔たり
親とも子とも見えざりしに
釈尊の御法(おんのり)によって
すみやかに、目蓮と対面ありて
御喜びは、限りなし
さて、有るべきにあらざれば
青提夫人、紫雲に打ち乗り
忉利天にぞ上がり給う
目蓮は、釈尊の御前にひれ伏し
感涙流し、御喜びは限りなし
さて、それよりも釈迦如来
最早、お帰りあらんとて
紫雲の飛車(びしゃ)に乗じて
各々、御弟子達、供奉(ぐぶ)なされ
霊鷲山にぞ帰らせ給う
御寺になれば
その後、目連、阿難、迦葉は
血盆経、盂蘭盆経、施餓鬼経
これ、三巻(がん)の御経を
はいたらやう(貝多羅葉)に書き記し
それより目連尊者
末世のために
娑婆世界に広めさせ給う
さるによって、我が朝にては
七月十四日には施餓鬼というなり
よって、十六日まで盆三日とて
諸々の精霊(しょうれい)を祀るなり
これによってその時より
罪業重きも軽きも
盆三日は、娑婆へ来たって
苦患逃るる事
今の世までも疑いなし
これを見聞くにつけ
一子出家すれば
七世成仏遂ぐること
さらに疑うことなかれ
去るによって
七月十六日を祭日と申すこと
此の由来より申すなり
神通第一
目蓮尊者の御方便
有り難きとも中々、申すばかりはなかりけり

去る間、釈迦如来
霊鷲山にましまして
御弟子達を集めさせ給い
法華経を説き給う
此の経に
言(ごん)にふ(触)るれば無縁の生無く
直心(じきしん)に乱入す(?)
文に曰く
業苦(ごうく)に入りて遠く仏果の縁となる
有り難き経文なり
よくよく聴聞あれ」とある
しかるに釈尊
法華経御説法の最中に
暫時に、宝塔、湧出する
その座にありおう面々
釈尊に至まで
有り難し、有り難しと
御手を合わせ給いける
されば多宝如来
 宝塔の内よりも
新たなる御声にて
釈尊の法華経を説き給うは
一句一字、覗いけん
善哉なれ善哉なれ」と
二声(ふたこえ)新たにのたまいける
釈尊、この由聞こし召し
宝塔に打ち寄らせ給い
我が舎利は、一面の明鏡の如し
万象森羅、この内にあり
文に曰く
「にょきゃくかんやくがいだいじょうもん」
(如却関鑰 開大城門:蓮華経第十宝塔品)
と述べ給えば
忝なくも
宝塔の扉も開き
多宝如来、釈尊とご対面ましまし
多宝如来のたまわく
「我、諸共、衆生を利益(りやく)せん
まず、この塔に入らせ給え」とある
釈尊、宝塔にひにゅう(?秘入)あって
釈尊、多宝と対座に結跏してこそおわします
さてまた、多宝如来のたもうは
釈尊の説き給う法華経は
一句一字疑うところあるまじ
則ち、御経のせうぜう(?小乗)には
多宝如来たるべし
一点も虚言あらば
我、多宝とは言われまじ」と
証拠に立たせたもうとありければ
満座の方々
有り難し、有り難し
それ、法華経は
一切の経王たりと
尊っとまざるはなかりけり
しかるによって、釈迦如来は
法華真実実相の理を説き給うこと八年なり
それよりして、法華繁盛にして
釈迦牟尼如来
多宝如来を両尊(りょうぞん)と尊っとみけるは
この由来とて
皆、拝まぬ衆生はなかりけり

 

右此本者太夫直伝之正本一字一点無相違
写之令板行者也
貞享四年 大伝馬三町目
卯ノ孟春吉辰 うろこがた開板